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夢みるきのこ

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2021年09月01日
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 大阪なんばのOCATで月1回開いてきた「夜の顔不思議な俳句会」も11年を超えるまでになった。俳句とまったく無縁に生きてきた人たちがはらりはらりと集まってきて、俳句に無縁のまま作品づくりをつづけてきて今日に至っている。昨年来のコロナ禍で郵便句会が続くが、それこそがコロナの思いがけない効用で、楽しいおしゃべりの機会は奪われたが、目に見えぬ大きな不安と向き合う中で、独り句作を続け、めきめき力をつけてきている。
 俳句の良いところは、俳句生活50年以上も続けてきた人も、たまさかふとその気になって作ってみた人も優劣がつけがたい詩形であることだろう。
それは17音ぽっきりの言葉にしかも季節の言葉を入れるという制約があり、それぞれの個性がなかなか句に反映されないきらいがあること。
 詩形が短いので日常生活の機微を感慨深く読み留める以上の表現は盛り込めがたいこと。などなど制限だらけであることに起因している。
 それでも和歌にはじまるやまと歌を千数百年かけて五七五と七七に分解し、その短縮形から派生した俳句は日本語のもつ特性に合致した詩形であることは間違いない。標語や歌謡曲の歌詞にはじまりありとあらゆる日本語の表現は、いまだにこの七五調、五七調の呪縛から逃れられないのは言うまでもない。だから現代詩人の多くは奴隷の韻律として俳句を遠ざけてきたのもわからないでもない。庶民の詩とでもいうべき俳句は詩という観点からみると落とし穴だらけで詩人にとってはきわめて危険なものなのだ。
 
俳人の多くは結社につらなる俳壇という狭いシェルターに入って句作をつづける間に知らず知らずの間に廃人になっていく自分がみえなくなっていく。夜の顔不思議な俳句会は、そんな俳壇とは一切無縁に活動してきた超結社の会。ここでは50年選手も昨日はじめたフレッシュメンもすべて生徒で、一人として先生が居ないこと。だから苦労も多い。手本がないからだ。
 しかし、合評会形式で意見を投げかけ合い、どんなに稚拙であっても日常生活の中で無意識に用いている言葉を十七音というお弁当箱に詰めて季節の食材をひとつ盛りつけ、アレンジする努力を続けるうちに自分でも予想もしなかった裸の言葉が生まれ出る瞬間に立ち会う。そんなよろこびをそれぞれが自分自身で見つけ出すまでになりはじめている。あとは17音にひとつ詩語としてのふくらみをもつ言葉を配して詩をつくるんだという覚悟が備わればもう何もつけ加えることはない。残るは、俳句詩人の自覚の有無だけ。これを自覚すれば、日々の繰り言めいた作品は影をひそめていく。
 そんな俳句を介した文学サロンが徐々に形成されつつあるのはとても喜ばしいことだ。
 今回私が選んだ句は、まだ選句の〆切が終わっていないためここに示すことができないが、9月5日以降に改めてこの場でご紹介する。





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最終更新日  2021年09月01日 10時07分46秒
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