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2022年05月05日
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 ようやく3月の不思議な俳句会の報告書に着手できるまでに​時間差を縮めることができた。GWの今週中に4月分の報告もこなしてしまおう。
 夜の顔不思議な俳句会は、世にいう俳人や俳句作家になろうなんて考えはいささかも持ち合わせていない人たちが、我が国固有の民衆詩を持ち寄り語り合うサロンである。​​俳句に全く無縁であった人たちがねじり鉢巻きで格闘しはじめ、100回を越えた頃からようやく短詩で自身の思いの丈をなんとか17音に凝縮させる最低限のテクニックを身につけはじめ、蕪村流の家元ヒエラルキーを脱した真実超結社の句座が整いはじめた。
 今回私の琴線に触れた作品は
​林檎剥く糸ほどの赤残しつつ   眞由美​
 17音に詩因(心に刺さったこと)を凝縮させることが精一杯であった
(いわゆる骨格形成期)会員のネクスト・ステージはそれにポエム(心)を宿す努力である。この作品はそれを明示している。ぜひまねびとってほしい。
寺跡や現世で園児が花祭      久雄
 寺跡で園児が花祭(灌仏会)を楽しんでいる。誕生仏に甘茶をそそぐお祭りが期せずして時空を超えた広がりをみせたのは「現世で」という言葉が象嵌されているゆえのこと。「花祭」という特殊な季語と現世で園児が(Gense de Enji ga)の中七の字余りのリズムも不思議な効果をもたらしている。
ここまでも寄りくるものか春の波  隆文
 「俳諧は三歳の童にさせよ」とは芭蕉の言葉であるが、この老練の作家のみずみずしい感性はまさに芭蕉の言を彷彿させるものである。
雛の灯をひとりともすや紅を引き  和子
 ひな祭りの句として異色の作である。盛りを過ぎつつある女の執念にも似た表出。浮世絵の鬼女を彷彿させる図柄である。
いかなごの路地ごと違う醤油の香 まなぶ
 下町の風情を的確に捉え全く無駄を削ぎ落した言葉選びで、庶民生活そのものを香り立たせている。春の風物詩となったいかなごも絶滅危惧種となりつつある。
体内の水も共振お水取り      輝彦
 お水取りの句としてこれも異色である。私たちのバイオリズムは水を介していることはスーパーナチュラリズムを提唱したライアル・ワトソンが繰り返し訴えていた。
​ このサロンでは100回を越えた頃からG選(逆選)を設けて、従来の俳句観では処理しきれなくなった現代人の生まの作品をピックアップしてきた。この作家はパイオニア精神満々でG選の常連作家である。
 しかし、G選作家こそが俳句という庶民の手垢にまみれ落し穴だらけの俳句という<躓きの器>に新たな息吹をもたらす唯一の手立てである。
 私にとってはG選俳句とは、グレー・ゾーンの俳句と思っている。俳句ではなさそうで、しかし、どうひっくりかえしても俳句としか言いようのない短詩。これこそが<
不思議な>を冠した夜の顔の真骨頂である。

        俳句はちょっと背伸びの庶民の詩。
 我が身の才能のなさに驚いて人生の反面教師となってまもなく半世紀を迎える私だが、不思議な俳句会の<不思議な>という面目にかけて、すべての作家がG選作品を目指すようになれば万々歳だと思っている。
 それが、ひょっとすればひょっとするぞと思わせるサロンとなりはじめたのが140回にもなんなんとする夜の顔である。
 没庶民の自己肯定が現代川柳であるとすれば、脱庶民の自己否定の詩こそが現代俳句である。
 これを私はたえず「ちょっと背伸び」を心がけることによって達成できると確信し、これまでも、これからも、ひたすらこの一事を伝えることに全身全霊を傾けていきたい。​





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最終更新日  2022年05月05日 10時29分13秒
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