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テーマ:「いじめ」を考える(14)
カテゴリ:いじめ
今日、6年生のクラスで、いじめについてのアンケートが配られました。
記名式で、毎日の生活の楽しみ、現在困っていること、ともだちからのいじめ、自分以外にいじめられていないか、「いじめ」についてどう思うか?の5つの質問です。 全て、今この時点での話で、一学期のことは書くなと言われたそうです。 現時点では、A君の長男へのいじめはほぼありません。 長男は、周囲のことはあまり興味がないタイプ。 周囲は、どうなっているのかはあまりわかりません。 そこで書けたのは、最初の楽しいことと、「いじめ」についてどう思うか?の2点だけ。 「いじめはないのが一番ですが、人間である限り、どうしてもなくならないものです。 いじめをなくすことより、いじめと上手につきあっていく能力が必要だと思います。」 これが長い間いじめを受け、親の力を借り、何とか解決した後の小6男子の「いじめについて」の考えです。 「いじめをされてきた人間が、いじめと上手につきあう能力なんて、言っててどうするんだ! いじめと上手につきあうって、どういうことだい? いじめられないように迎合したり傍観したりすることか? そんなのは能力じゃない。あきらめだ。」 「つらかったときの事を忘れたのか? いじめられると、どれだけツライか悲しいか書いて、絶対にしてはいけないと言うのがホントだろ。 こんなところで物分りよく格好つけて、どうするんだ!」と、思わず、私は怒りました。 「だって、記名するんだよ。 それにこれだって先生が読むだけで、何かしてくれるわけじゃないんだぜ。」 私は悲しくなりました。 小学生が「いじめはなくならない。」とあきらめているのです。 「人間はいじめあうもの」という長男の意見は、真実なのかもしれません。 「希望を失うな」「人間の善い面を信じろ」と、子供に教えるのは、もはや無意味なことでしょうか? 私には「12才」はあきらめるのには未だ早いと思えるのですが... お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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