カテゴリ:パワハラ
人間の体質は、大きく「放散型」と「温存型」に分けることができます。
つまり、 自分の体熱を外へ発散せずにいられないタイプの人と、 体熱をなるべく消費せずに内部に留めようとするタイプの人です。 たとえば、 前者は下痢になりやすく、後者は便秘になりやすい。 性格的にいうと、 前者は、外交的で、活動的で、よく喋る。 後者は、内向的で無口ということになります。 もちろん、 これは、あくまで体質上の問題であって、 心掛けの問題でもなければ、倫理の問題でもない。 体熱バランスを保とうとするホメオスタシスやエコノミーの問題です。 ところが、 「放散型」の人間は、しばしば「温存型」の人間を倫理的に責め立てます。 「怠けている」だの、 「バイタリティが足りない」だのと否定的な言葉を浴びせるのですね。 それによって「放散型」の人間は、自己肯定感を得ようとする。 パワハラの要因というのは、意外にそんなところにあります。 ◇ むしろ、倫理的に問題なのは、 「放散型」の人間にしばしば見受けられる自己中心的な言動のほうです。 彼らは「温存型」の人間にしたいして、 「パワーがない」だの「覇気がない」だの、 「出し惜しみしている」だの「体調管理がなってない」だのと言います。 そして、あたかも自分の性質が倫理的に正当であるかのように考える。 なかには、 自分の食生活や、趣味の生活や、睡眠の習慣までもが、 だれにも増して模範的であるかのように言いふらします。 そして、自分の活動的なキャラクターが、 自分の心掛けと体調管理の賜物であるかのように自己肯定するのです。 ◇ じつは「放散型」の人間の行動には、 自分の行動の後始末を他人に押しつけるという特徴があります。 浅はかな自分の判断で生じた問題の後処理を他人に押しつける。 やりっぱなしで、その責任を自分で取ろうとしない。 そういうことを平気でやるのも「放散型」の人間です。 行動せずにいられない反面、 自省や内省を強いられる局面を反射的に避けようとするからです。 さらに、衛生面でいえば、 風邪を引いたときまで「外向性」を発揮して、ウィルスを撒き散らす。 トイレを汚物だらけにしたあげく、他人に掃除させたりする。 そういう側面も「放散型」の人間にはありがちなのですね。 じつは、かなり迷惑な人間であるにもかかわらず、 困ったことに、自制したり抑制したりすることを非常に嫌う。 これが「放散型」人間の特徴。 自分自身の倫理的な問題をけっして認めようとしないのです。 ◇ こういう人間の体質は、 技術的なスクリーニングで判別することが可能です。 かりに組織の上位にこのような人間がいると、 下位の人間は抑圧され、非常にストレスフルな状況が生まれます。 「放散型」の人間は、 たしかに個人としては成果を挙げているように見えるし、 彼らを働かせれば、短期的な利益があがるようにも思えます。 しかし、その反面で 彼らの存在は縦社会の抑圧的な構造を強め、 じつは組織全体が革新する力やクリエイティビティを妨げます。 そのような組織では、 従来的な習慣を "変えようとしない人間" ばかりが適応して、 時代遅れの習慣や悪弊を "変えようとする人間" は、ひたすら疲弊してしまう。 平成という時代は、 まさにそうやって社会のポテンシャルを抑圧しつづけた30年間でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.06.14 17:41:41
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