カテゴリ:逃げ恥~けもなれ!
あらためて「逃げ恥」を見直してみると、
「逃げ恥」と「けもなれ」は地続きだったのだと思う。 森山みくりも、深海晶も、 何でも出来て、器用なぶんだけ、 かえって酷使されてしまって、 まったく正当な対価を得られないキャラですよね。 状況を改善しようとして意見をいえば、 かえって「小賢しい」といわれて周囲から敬遠される。 「けもなれ」のあとで「逃げ恥」を見直すと、 みくりが津崎に惹かれた理由も、よく分かります。 唯一、津崎だけが、 自分の主張を受け入れて、 労働の価値にも正当な報酬を与えてくれたのですね。 しかし、ある意味で、津崎の謙虚さというのは、 その自尊感情の低さと無縁ではありませんでした。 「逃げ恥」の続編も企画されているらしいのですが、 いったいどんな内容になるのか気になるところです。 ◇ 「逃げ恥」というドラマは、 当時、フェミニズムの分野でさかんに論じられました。 "家事労働の対価"という問題が、 物語のテーマとして取り入れられていたからです。 しかし、 フェミニズムの枠組みで論じることができたのは、 あくまでドラマの前半部分だけです。 ドラマの終盤になると、 従来のフェミニズムの枠組みでは扱えなくなります。 その理由は二つあります。 ひとつは、 津崎が終盤で「失業」してしまうからです。 家事労働への正当な対価が支払えなくなってしまった。 そもそも、 家事労働についての等価交換が成立するためには、 それに見合うだけの十分な世帯収入が必要なのです。 世帯収入そのものが不足すれば、 どうしたって家事労働は搾取にならざるを得ません。 ここに人権上の問題が生じます。 いくら少子高齢化が深刻だからといっても、 家庭内のブラック労働の実態を放置したままで、 むやみやたらと若い世代に結婚や出産を奨励することは、 それじたいがDVという名のパワハラ・セクハラを助長しかねない。 みくりの言う「愛情の搾取」というのは、 厳密にいえば、愛情を利用した「労働の搾取」のことです。 ふたつめは、 物語の終盤で「愛」の等価交換がテーマになるからです。 そもそも愛というのは計量できませんから、 労働とは違って等価交換が成り立たないのです。 等価で交換しようとすればするほど、自分だけ搾取されている気分になる。 愛についての不足感は、結局のところ交換では補えません。 ◇ 「逃げ恥」の終盤では、 交換ではなく、むしろ贈与がテーマになっていると言えます。 世帯収入の少ない家庭で、 家事労働への正当な対価を実現していくためには、 何らかの贈与(社会保障)が必要になります。 それは再分配や社会インフラであり、 あるいは科学革命や技術革新による文明の贈与です。 それがなければ結婚はおろか同棲すらも成立しない。 まして出産や子育てなどありえません。 愛について考えるためにも、 交換という枠組みではなく、贈与という観点が必要になるはずです。 こうした問題を、 はたしてドラマの物語のなかで扱うことはできるでしょうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.07.06 14:44:24
[逃げ恥~けもなれ!] カテゴリの最新記事
|
|