カテゴリ:逃げ恥~けもなれ!
もともと契約結婚というのは、
夫婦の役割を等価で交換するためのシステムでした。 男女の役割の等価交換。 それが、このドラマのテーマです。 今回のスペシャルでは、そのフェーズが「子育て」に移りました。 コロナ禍という、 ちょっと特殊な状況がクローズアップされたけれど、 じつはコロナ禍であろうとあるまいと、 共働きの夫婦が子供を育てるのは、かなり困難なのだと思う。 やっぱり実家に頼るしかない。 そうでなければ、 お金でベビーシッターやハウスキーパーを雇うしかない。 ◇ 結局のところ、 男女の役割を等価で交換することはできませんでした。 みくりを助けてくれたのは、 実家の母親であり、伯母の百合ちゃんであり、 あるいは友人のやっさんでした。 また、 癌を患った百合ちゃんに付き添ってくれたのは、 レズビアンの友人でした。 要するに、ほとんどの問題を、 女性のネットワークだけで乗り切ったのです。 ◇ 実家に頼ることもできず、 ハウスキーパーやベビーシッターを雇うお金もなければ、 たとえ夫婦のあいだで仕事分担の努力をしても、 おそかれはやかれ核家族の子育ては破綻してしまうでしょう。 それが現代の日本の実情です。 本来、子育てというのは、 大きな共同体のなかでおこなわれていました。 核家族で子育てをするようになったのは近代以降です。 しかも、事実上は母親だけで子供を育てている。 これは、 かなり無理のあるシステムだと言わざるを得ません。 何も解決せず、何も決着せず、 ただ二人が泣き崩れたまま年を越す場面がありましたが、 じつのところ、何も解決していないのは、 現代日本の社会システムそのものなのです。 ◇ 「親の責任」などという幻想は、 もはや実態とは乖離した絵空事の神学論争にすぎません。 そもそも「親の責任」だけで子育てなど出来るはずがないのだから。 たとえば母親の鬱や自殺を、 世間では「ネグレクト=責任放棄」と呼んで非難します。 企業が、 社員の育児休暇を「仕事放棄」だといって容認しないのと同じように、 社会は、 母親のネグレクトを「育児放棄」だといって容認しないのです。 沼田さんはこう言いました。 働いてるのは人間なんだから、 いつ誰が長い休みをとるかなんて分からない 突然の事故、家族の病気介護、 自分自身の体調が崩れる場合もあるよね? そのとき何が大事かって言ったら 誰が休んでも仕事は回る 帰ってこられる環境をふだんから作っておくこと それが職場におけるリスク管理 それと同じことは、 企業の社員についてだけでなく、 子育てをする母親についても言えるのです。 人間なのだから、出来なくなることもある。 母親以外に代理がいないシステムのほうがおかしいのです。 子育てにおける社会のリスク管理ができていない。 およそ不可能な「自己責任論」ばかりがまかり通っている。 母親のネグレクトを、 たんに「責任放棄」の一言で片づけるべきではありません。 ◇ これは一種の優生思想なのだと思うけれど、 よほど恵まれた人々でなければ、 まともな子育てができない仕組みになっています。 明らかに少子化対策の理念とは相矛盾している。 その一方で、 向こう見ずなヤンキーほど多くの子供を産んでしまう、 というアベコベな現実もあります。 ◇ ジブリの新作「アーヤと魔女」の主人公は、 親に捨てられて、孤児院で育っていました。 実際、かならずしも親に育てられるのが幸福だとは限らない。 わたしは、 とりあえず「共同保育」が妥当な選択だと思うけど、 親と子が一緒に入所して、 ある年齢まで断続的に子育て合宿できる仕組みがあってもいいし、 これも、ある種の優生思想になるのかもしれませんけど、 まったくの公営というのではなく、 審査に通った親子だけで自治的に運営するような、 私営の共同保育所が増えてもいいのかなと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.06.26 08:09:16
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