カテゴリ:プレバト俳句を添削ごと査定?!
朝月のアザーン砂漠の空港へ 月白のワーディー渡るヌーの群 こりりとすっぱそうな三日月のかど 良夜かな香典返しの茶漬け食ふ 名月は東に父島観測所 良夜のノーヒッター肘の手術痕 あんな家二度と帰るか睨む月 桂月やキャラメルの香の満ち満ちて 別れるはずだったのに月が綺麗 細月を探す三箇所残り蚊に
プレバト俳句。金秋戦決勝。 お題は「月」です。 1位から順に見ていきます。 ◇ 森迫永依。 朝月のアザーン 砂漠の空港へ 原点にもどって、 実体験のモロッコ句でふたたび優勝。 モロッコでも月が美しいのは秋なのかしら? ちなみに先生が言った「有明の月」とは、 陰暦16日以後の、夜明け前の月のこと。 ◇ フジモン。 月白のワーディー渡るヌーの群 こちらは実体験ではなく、 エキゾチックな幻想でしょう。 なんとなく「月の砂漠」を思い出しました。 ◇ 森口瑤子。 こりりとすっぱそうな三日月のかど 4+6+7の破調。 ひらがなが多いところも、 触覚と味覚にうったえかけるところも、 なんだか谷川俊太郎っぽい。 ◇ フルポン村上。 良夜かな 香典返しの茶漬け食ふ ちょっと変則的な形です。 ふつうなら、 調べを崩しても、 香典返しの茶漬け食ふ良夜かな としますよね。 原句の語順だと、 上五がセリフで、 中七・下五が描写のように見えます。 どちらがいいかは何とも言えない。 ◇ 春風亭昇吉。 名月は東に 父島観測所 満月は東に 父島観測所(添削後) この添削で異論ありません。 ただ、念のために補足すると、 先生は「名月」と「満月」の違いを、 いわば「主観」と「客観」の違いのように説明しましたが、 すくなくとも暦の上では、どちらにも客観的な定義があります。 名月(中秋の名月)とは旧暦8月15日の月のことで、 かならずしも満月ではありません。 今年の9月29日は「名月」と「満月」が一致しましたが、 次にそうなるのは7年後だそうです。 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230929/k10014210701000.html ◇ キスマイ横尾。 良夜のノーヒッター 肘の手術痕 10+8の字余り。 いつもの句またがりの対句です。 しかし、前段と後段に、 「手術したからノーヒット」 という因果関係が見えてしまい、 二物衝撃の取り合わせになってるとは言いがたい。 ◇ 千原ジュニア。 あんな家二度と帰るか 睨む月 あんな家二度と帰るか 月皓皓(添削後a) あんな家二度と帰るか 月明し(添削後b) あんな家二度と帰るか 月睨む(添削後c) あんな家二度と帰るか 月に吼ゆ(添削後d) 上五・中七の作者自身のセリフに、 下五の描写を取り合わせたのでしょうが、 どうしても散文的なのは否めない。 むしろ(添削後c/d)のようにしたほうが、 セリフ&動作をまるごと第三者の視点で描写できるのかも。 ちなみに「月に吠え」は的場浩司の句にもありましたね。 ◇ 梅沢富美男。 桂月や キャラメルの香の満ち満ちて キャラメルの香か 桂月の甘からん(添削後) 実際に甘い香りが漂っていたのなら、 写生句と言えなくもありませんが… おそらくは、 「月に桂花が生えている」 という中国の伝説によった幻想句なのでしょう。 幻想句を否定はしませんが、 下五に「満ち満ちて」とまで書かれると、 かえって大袈裟なホラに思えて白けてしまうし、 先生が言うように、 ただ知識をひけらかしただけの無内容な句に見えます。 接続助詞「て」でお茶を濁すのも梅沢の悪い癖。 … なお、Wikipediaには、 > 中国でいう「桂」はモクセイ(木犀)のことであって、 > 日本と韓国では古くからカツラと混同されている とあります。 すなわち、 "月に生えている"との伝説があるのは、 中国でいうところの「桂花/金桂」(モクセイ)であって、 日本でいうところの「桂」(カツラ)ではない。 そして、 (たとえばキンモクセイの花なども甘い香りはしますが) 一般にキャラメルの香りに似ているとされるのは、 「桂」(カツラ)の落葉であって「桂花」(モクセイ)ではありません。 … ちなみに、 桂(カツラ)の花が咲くのは3~5月ですが、 桂花(モクセイ)の花が咲くのは9~10月です。 にもかかわらず、俳句の世界では、 古来からの伝統的な誤解にもとづいて、 桂花(モクセイ)を「かつらばな/かつらのはな」と読み、 これを「木犀」と同じ秋の季語にしている…(笑) 旧暦の八月(現在の9~10月)を「桂月かつらづき」と呼ぶのも、 それと同じ誤解に由来しているわけです。 追記: 桂花(モクセイ)は中国原産であり、このうち基準種の銀桂(ギンモクセイ)が15世紀に、変種の丹桂や金桂(キンモクセイ)が17世紀あるいは明治時代に日本へ伝来したとのこと。その一方、桂(カツラ)は、一説によれば日本の固有種だそうです。双方の植物を知らなかった時代に、中国の「桂花」と日本の「桂」が同一視されたのかもしれません。古今和歌集には「ひさかたの月の桂も秋はなほ紅葉すればや照りまさるらむ」と詠まれていますが、 本来は《桂花(モクセイ)の花色が月を金色に染める》という中国の伝説だったはずが、日本では《「桂」(カツラ)の黄葉が月を金色に染める》と解釈されたのでしょうね。 https://tenki.jp/suppl/kous4/2020/10/09/30020.html さらに、明治時代にはフランスからクスノキ科のローリエが移入されましたが、これもまた同じ中国の伝説にちなんで「月桂樹」などと名づけられたので、ますます面倒くさいことになってます(笑)。 なお、桂(カツラ)そのものは俳句の季語になってないようですが、キャラメルの香のする「桂黄葉かつらもみじ」なら、秋の季語として使えるはずです。 ◇ 犬山紙子。 別れるはずだったのに月が綺麗 別れるはずだった 月が綺麗だった(添削後) 11+6の破調。 夏目漱石のエピソードを意識してるらしく、 見かけによらず文学的な引用から出来てるらしい。 全体がセリフの形式なので、 さほど「のに」による逆説が悪いとは感じません。 9位でしたが、 個人的には3~4位ぐらいでもいいと思う作品。 ◇ 皆藤愛子。 細月を探す 三箇所残り蚊に 月さがす間を残り蚊に刺されけり(添削後) まずは二句一章の是非。 かりに二句一章だとすれば、 「月を探してたら蚊に刺された」 との因果関係に見えてしまう。 かりに一句一章だとすれば、 動詞「探す」が連体形になってしまい、 その結果「三箇所で探した」との誤読を生む。 どちらの解釈をしても問題が生じます。 そして季重なりの是非。 主たる季語が「残り蚊」だとすると、 三箇所も刺すとは生命力が強すぎじゃないの?! とも思えるのですが… もしかすると、 「秋なのに月のほうが弱々しくて蚊が元気」 という逆説を意図したのかしら? ◇ 清水アナ(Twitter)。 パイプ椅子片す良夜のグラウンド これは綺麗に出来てます。 熱戦が終わった後の涼しい月夜でしょうか。 なお、 現在は全国で使われてるかもしれませんが、 片づけるを意味する「片す」は東京方言だそうです。
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最終更新日
2023.10.18 05:54:09
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