カテゴリ:プレバト俳句を添削ごと査定?!
オーディション帰り渋谷の秋 秋の夜ビルの谷間に光る傘 三十年余勤めし渋谷野分晴 天高しビジョンに写る同世代 青年の歩幅につられ秋空へ 秋雨や渋谷の路地に鼠と吾 甘栗の香を行く渋谷交差点
10月19日のプレバト俳句。 お題は「渋谷スクランブル交差点」。 ◇ 水野真紀。 オーディション帰り 渋谷の秋そぞろ 句またがり。 下五の「秋がそぞろである」という言い方が面白い。 実景にさりげなく心情をのせて成功してます。 ◇ 山下真司。 秋の夜 ビルの谷間に光る傘 ビル街の谷間 秋夜を光る傘(添削後) 句材は良いですよね。 でも、季語を映像化するには、 添削のように書いたほうがいい。 ◇ 武田真一。 三十年余みそとせよ勤めし渋谷 野分晴 三十余年勤めし渋谷 秋高し(添削後) 渋谷時代は「野分」と言うほど過酷だったのか?! …と思わせるところが大袈裟だし、 過去への決別みたいな心情を季語にのせすぎた感がある。 添削のように、 晴れ晴れとした境地だけを描くほうが穏当かな。 ◇ ネルソンズ青山フォール勝ち。 天高し ビジョンに写る同世代 天高し 街頭ビジョンに同世代(添削後) 中七の「ビジョン」は展望を意味する単語でもあるから、 添削のように書かなければ伝わりにくいし、 下五の「同世代」という言葉は、 人だけでなく、物や技術にも用いられるから、 《街頭の映像画面に同世代の技術を見てとれる》 みたいな解釈ができなくもない。 字余りですが、 秋空の街頭ビジョンに同期芸人 としてみました。 ◇ 中田喜子。 青年の歩幅につられ秋空へ 交差点まではイメージできませんが、 空へ舞いあがるような気分は伝わります。 ただし、 「空へ」という比喩は死をも想起させるので、 追悼句のように見えなくもない。 比喩を使わずに、 青年の歩幅まねれば秋高し と書いても同じ情景は描けると思う。 ◇ 千原ジュニア。 秋雨や 渋谷の路地に鼠と吾あ ブルーハーツみたいな内容だよね。 助詞は「路地の」より「路地に」のほうが平面的で、 地べたに這いつくばってる印象が強まるけれど、 まるでホームレスのようにも見えるので、 わたしは「路地の」とするほうが穏当かなあと思う。 ◇ 梅沢富美男。 甘栗の香を行く渋谷交差点 渋谷 はや甘栗の香の交差点(添削後) 渋谷 かの甘栗の香の交差点(添削後) 中七の「香を行く」は面白い言い方だし、 原句のままでも悪いとは思わない。 かたや添削句は、 冒頭3音の「渋谷」で切れる変則的な形。 もしかしたら、 助詞を省略した主語のつもりかもしれないけど、 「渋谷は交差点である」という文は成立しないので、 冒頭3音で切れた二句一章としか解釈できません。 まあ、 たしかに原句の「行く」は蛇足なので、 それを省くとしたら、 甘栗の香立つ渋谷の交差点 甘栗の香が満つ渋谷交差点 のようになるでしょうか。 ◇ 清水アナ(Twitter)。 秋時雨 傘握りしめ交差点 中七の「握りしめ」は、 次につづく動詞の省略を仄めかす連用形ですが、 「立つ」の省略なのか「歩く」の省略なのか不明瞭だし、 曖昧な言い方でお茶を濁したようにも見える。 たとえば最後に助詞を補って、 「握りしめ十字路に」と書けば「立つ」の省略になり、 「握りしめ十字路を」と書けば「歩く」の省略になります。 …しかし、そもそも、 「時雨・傘・交差点」という句材は当たり前にすぎるし、 動詞「握りしめる」の一語だけで、 詩情や心情を十分に喚起できるとは言いがたい。 もうすこし何か具体性が必要なのでしょうね。
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最終更新日
2023.10.23 12:56:22
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