カテゴリ:プレバト俳句を添削ごと査定?!
苗代の桜や鬼の住まいする 刑務所を囲む桜の仄白き 幽谷のロッジの夜明け白き飛花 花月夜冒険譚に挿す栞 束の間を正気の母と花の道 さくらさくらむすめのたましいのいろ 濠の端の羽音走りて初桜 花曇昼夜の区別なき赤子 花月夜学童終わりのチャンバラ戦 我が運命夜櫻に問う生も死も 祖父逝きて今朝の櫻の寒き色 出郷の車窓を叩く飛花落花 青光りせり750ccに花吹雪 風吹かば花の色なる城下町 校庭に響くピアニカ春の雲 祖父逝きて今朝の櫻の寒き色
3月28日のプレバト俳句。 春光戦のお題は「桜」です。 決勝進出したのは梅沢、千賀、ジュニアの3人。 優勝は千賀でした。 ◇ 森迫永依。 花月夜 学童終わりのチャンバラ戦 チャンバラの続く公園 花月夜(添削後) チャンバラの続く団地や 花月夜(添削後) 十分に佳作です。 9位の評価は低すぎる。添削する必要もない。 前回の「旗源平」の句も、 平家物語のような風情があったけど、 今回も歌舞伎に見立てたような面白さがある。 なお、先生は、 「花月夜」から「学童終わり」への展開を、 夜から夕方へ時間が逆行してる…と言いましたが、 それは間違った解釈というべきです。 中七の「学童」とは、 一般的に「学童保育」のことであって、 共働き・ひとり親家庭などの子だという示唆です。 そうでなければ、わざわざこの単語は使いません。 ふつうに「学校帰り」と書けばよいのだから。 放課後の学童保育が終わるのは18時以降だし、 家に帰っても留守番せざるをえない境遇だからこそ、 学童たちは月夜になってもまだ遊んでるのです。 作者がそれを説明しないせいもあるけれど、 先生をふくめ、誰一人その意図を汲み取れていない。 前回の「旗源平」の句もそうでしたが、 今回もまた不当な評価に貶められてしまった感じ。 ここまでくると、 視聴者はMBSへ苦言を呈してもいいのでは?? 追記: 原句の「戦」の要不要について。 ここでのチャンバラは、見世物や演目でもないし、 無邪気なごっこ遊びというだけのものでもなく、 男の子のストレス発散の憂さ晴らし、 ちょっと乱暴なゲームとも読めますし、 貧困や寂しさにも負けない明るい逞しさとも読める。 そうした意味で、この「戦」の字の多義性というのがある。 下6の字余りではあるものの、 撥音「n」が二箇所入ってリズム上の字余り感は少ない。 ◇ 森口瑤子。 束の間を正気の母と花の道 中七の「正気」でドキッとさせる。 下五の「花の道」は、 もちろん桜咲く並木道のことですが、 比喩的な意味の「花道」とも読めます。 ◇ 的場浩司(予選句)。 我が運命さだめ 夜櫻に問う生も死も 満開の夜櫻に問う生も死も(添削後) 満開の夜櫻に我が生を問う(添削後) 内容が観念的で、 ベートーベン並みに暑苦しいですね。 しかも、その発想はわりに凡庸というべき。 ◇ 的場浩司(Tver限定)。 祖父逝きて今朝の櫻の寒き色 こっちを提出してれば決勝進出だった!! …と先生絶賛の句。 時間と視覚と肌感覚と心情が、 無駄なく描写されていて、 たしかに非の打ちどころがありませんね。 因果関係のような叙述によって、 実景に心情をのせていく形式も的確です。 ◇ 千原ジュニア(予選句)。 刑務所を囲む桜の仄白き 終止形で「仄白し」と書くほうが、 客観写生の原則に適ってますが、 これを連体形で終わらせた形は、 「仄白きこと」という感嘆・詠嘆の省略にも見えるし、 たとえば「仄白き悲しさ」「仄白き優しさ」など、 作者の印象を言い含めるような効果も与えます。 通常なら避けるべき手法ですが、 この句にかんしては許容したくなります。 ◇ 千原ジュニア(決勝句)。 青光りせり 750ccななはんに花吹雪 バイクに花吹雪、という句材は凡庸です。 かりに評価すべき点があるとすれば、 それを「青光り」と描写したことの独自性だけ。 なお、 連体形で「青光りせる750cc」と書けば、 光ってるのはバイクだけですが、 いったん終止形で切って倒置法にしたことで、 場面全体が光ってるようにも見えるのですね。 しかし、 表現に多少の工夫を加えたところで、 やはり句材そのものが凡庸なのは否めない。 ◇ キスマイ千賀(予選句)。 幽谷のロッジの夜明け 白き飛花 幽谷のロッジ 夜明けの飛花白し(添削後) そもそも「夜明けの幽谷」に霧のイメージがあるので、 下五の「白」の情報は重複にも思えるけど、 添削のようなカット割りと語順にすれば、 その「白さ」をさらに強調する効果が生まれますね。 ◇ キスマイ千賀(決勝句)。 出郷の車窓を叩く飛花落花 車窓に桜吹雪という句材は凡庸なのだけど、 上五の「出郷」は経済効率の良い言葉だし、 中七の「叩く」の表現にも意外性がありました。 季語の「飛花落花」も、 漢字四字で動画的なイメージを与える熟語だけど、 そのわりに音数も少なくて効率的です。 車のスピードのせいもあるとはいえ、 バタバタするほどの桜吹雪だったのでしょうね。 ◇ 梅沢富美男(予選句)。 苗代なわしろの桜や 鬼の住まいする 下五の「住まいする」は、 韻文的な言い回しなのかもしれませんが、 悪くいえば、ムダに字数を埋めただけ。 かりに、 中八・下五で「苗代桜に鬼の棲む」と書けば、 (もしくは上五・中七で「鬼の棲む苗代桜」と書けば) 残りの5音分でもう一要素を加えられます。 これまでも梅沢は、 「日焼けを剥く子」「剪定の音」など、 わずか7音で書ける内容に17音も費やして、 剪定や鋏の音の霏々として 一心に日焼けの鱗はぐ子かな みたいにスカスカな句を作ってるけど、 今回も12音あれば書ける内容なのです。 そもそも、下呂市の「苗代桜」は、 苗代に咲いてるからそう呼ばれるのではなく、 「苗代へ植える頃に咲く」ということが由来なので、 それを「苗代の桜」と書いたら意味が違ってきます。 固有名詞の「苗代桜」ではなく、 一般名詞の「苗代」に咲く桜としか読めなくなる。 まあ、それならそれで、 ひとつの幻想句としては成立しますが、 それを予選1位と高く評価するのはどうなんでしょうね。 ◇ 梅沢富美男(決勝句)。 風吹かば花の色なる城下町 夕風や 花の色なる城下町(添削後) 句材そのものが凡庸なのですが、 たんなる取り合わせにするよりも、 「風が吹いたので花の色になった」 と因果っぽい書き方にするほうが幻想的なので、 添削句よりは原句のほうがいいかなと思う。 ◇ キスマイ横尾。 花月夜 冒険譚に挿す栞 下五の「挿す栞」だけを見ると、 挿さない栞があるんなら持ってこい! …ってことになりますが、 たんに「冒険譚に栞」と書いただけでは、 A そこに読みかけの本がある B いま本を閉じた C これから本を開く などの解釈が生まれてしまうので、 Bであると明示するためには動詞を省けない。 そのうえで、先生は、 「栞挿す」か「挿す栞」かの選択について、 先に「栞」を出したらネタバレになるので、 原句のように「挿す栞」と書くのが正解としました。 しかし、 それは「季語よりも栞が主役」と言ってるのに近いし、 いつもの先生の説明とも違ってます。 いつもなら、 「動詞に軸足を置くか、名詞に軸足を置くか」 という観点で判断するのだから。 あらためて比べてみます。 A: 花月夜 冒険譚に挿す栞 B: 花月夜 冒険譚に栞挿す Bのほうは動作に軸足があるので、 「読書を終えて花月夜へと視線を移す」 って感じになるし、そのぶん季語が立ちます。 Aのほうは「栞」に軸足が置かれるので、 そのぶん季語が脇役に回ってしまいかねない。 とはいえ、 全体としては「読みかけの冒険譚」の映像が残るので、 先生が「ファンタジーっぽい」と言ったように、 季語の「花月夜」と「冒険譚」のイメージが、 たがいに幻想的に響き合って重なる感じもあるのだけど、 その効果はAでもBでも変わりありません。 なので、 「栞を主役にしすぎずに季語を立てる」のなら、 動詞に軸足を置いたBのほうが正解だろうと思います。 ◇ 犬山紙子。 さくらさくら むすめのたましいのいろ さくらさくら 子のたましいのさくら色(添削後) 原句は6+4+7=17の破調。 すべて平仮名で書いてますが、 子供の視点で書いてるわけじゃなく、 むしろ親の視点で書かれてるのよね。 前段の「さくらさくら」が娘の歌声なら、 そこにかんしては平仮名で書く必然性があるけど、 後段まで平仮名で書く必然性があるかは疑問。 しかしながら、実際に、 さくらさくら 娘の魂の色 と漢字で書いてみると… なんだか「自分の娘」じゃなく「若い女」の句に見えるし、 鬼滅の禰豆子みたいな世界観に見えるかもw かたや添削句のほうは、 字余りで6+7+5と調子を整え、 子供の「魂」とその「色」を平仮名で表記してます。 その意図は理解できるけれど、 なんとなく「亡き子の追悼句」のように読めるし、 やはり原句とは意味合いが違ってるように感じる。 ためしに6+8+5にして、 さくらさくら むすめのたましいさくらいろ …としてみたのですが、 これまた「うら若き娘」の色香に見えてしまうかもw ってことで、 いまいち解決策は見つからず、 結局、原句が最適解かもしれません。 ◇ フルポン村上。 花曇 昼夜ちゅうやの区別なき赤子こども 花ぐもり 夜を泣き昼を泣く赤子あかご(添削後) 原句の「昼夜の区別なし」は説明的だし、 赤子が「泣いてる」のか「遊んでる」のか、 それも字面からは判然としないので、 その意味では添削句のほうが優れてます。 ただし、添削句は、 説明が描写へと訂正されたぶん、 描いた時間が「夜から昼まで」になり、 季語の「花曇」の時制までぼやけてしまう。 原句の場合は、 「昼夜の区別なし」ってのが描写ではなく、 赤子についての抽象的な説明だからこそ、 時制はあくまで「花曇」の日中なのですね。 …ってことで、 これもちょっと直しにくい内容ですが、 漢語の「区別」を使わずに説明を短くし、 赤子が「泣く」という情報を加えるなら、 花曇 昼夜ひるよるなしに泣く赤子 と出来ます。 ◇ 中田喜子。 濠の端の羽音走りて初桜 濠の端を羽音走れり 初桜(添削後) NHK俳句の村上鞆彦の言葉を借りると、 4つの「ha」の押韻はクドいとも言えるし、 とくに「端」と「初桜」の語には、 押韻ありきみたいな作為性を感じる。 とはいえ、添削句のように、 適切な助詞や切れを用いて、 意味と構成を明確にすれば、 ただ言葉遊びに溺れたかのような作為性は、 だいぶ緩和されるかもしれません。 ◇ 清水アナ(Twitter)。 校庭に響くピアニカ 春の雲 よくいえば素朴なのですが、 あまりに内容が凡庸すぎました。 中七の「響く」も不要だし、 季語もだいぶつまらないけど… なんとなく、この季語の選択は、 フォスターの「静かにねむれ」っぽいよね。
▽過去の記事はこちら https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.04.04 07:01:05
[プレバト俳句を添削ごと査定?!] カテゴリの最新記事
|
|