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テーマ:縄文文化(104)
カテゴリ:東の端の国、日本
上野国立博物館で縄文展示会を見学、念願だった遮光めがね土偶と縄文ビーナスの実物を拝観。 遮光土偶は同様のものが多数発掘されたため、同じデフォルメが流行したとの説が有力らしいが、横や後ろから見ると耳の上や後頭部にもバンド状の模様があり、遮光ゴーグルが当時存在したように思えた。 そういえば、縄文当時は氷河期の後の温暖期にあたり、太陽光線がまぶしいこともあって、このような工夫がされたのだろう。 指で細いすきまを作り覗くと、簡単に実感できるので、当時でも発明し得たと思う。 展示では、黄河、インダス、チグリスユーフラテス等の世界の土器や解説もあったが、1万年前の土器は日本だけで、その時代差は大きくかけ離れ、縄文文明は飛びぬけた存在感を示していた。 1万年も続いた縄文文明を学ぶにつれ、日本人の宗教観や多神教崇拝、そして自然を征服するのではなく、自然や天災との調和を選択した先人の知恵を感じ取れるようになってきた。 特に災害に対し、人智ではとてもかなわない天変地異の神様の怒りであるととらえてきた。 すなわち人工の堤防や建物はいくら堅牢であろうと頼りにできないため、早期にしかもすばやく避難することが肝要とする。 また、住居も壊れる事を前提とした耐久性の低い木造とし、神の怒りが収まったあと、ふたたび建て直す。 すなわち以下のくりかえしであった。 災害→避難→住居破壊→災害終了→住居再建→居住→災害 今後とも災害に対しては、神のなせる業であり、消防や役所はいうに及ばず、人間の力のとどかない領域なので、とにかく逃げて、早期避難することが第一と思う。 ここで一句! 「三十六計逃げるに如かず」〔南斉書 王敬則伝〕 「無駄使い百の堤防高台移転、一の避難に如かず」〔自作〕 「天災はすべてが想定外!」〔自作〕 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年08月25日 15時27分31秒
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