続 男と女シリーズ ミラクル奇跡の世界!古代東端国
古代の我々の先祖の時代人類の安住の地であり、最終到着地。自然の恵み豊かな、豊穣の地、日本列島。戒律というか、○○の禁止というようなものは、みかけない。それよりも。対人関係が他国とまったく異なる点がある。ひとをみれば泥棒と思えが旧約聖書の世界だ。新約聖書以降でも、原罪という理念があり、神に救われるために戒律をまもりなさいということだろう。それに対して古代東端国は、古代中国孟子の性善説どころかむしろ、お互いを神として敬うのである。まさにミラクル奇跡の世界だ!以下に火影の主張を補完する資料を見つけた。 ----------------参照出雲井晶著「今、なぜ日本神話なのか」より西暦280年から89年に書かれたと言われる中国の『三国志』の「魏志東夷伝」の中に、古代日本にやってきた魏の使いが見て帰った日本見聞記がある。(1)それによると当時の日本は、家はひろびろとして、父母や兄弟は、それぞれ自分のへやでやすんでいた。人々は物ごしがやわらかで、人をみると手を搏(う)って拝んであ いさつをした。古代の日本人は、ことばを伝え事を説くにも、踏(うづく)まったり脆(ひざま)づいて恭敬な態度であった。当時の目本人は長生きで、普通百歳、あるいは八、九十歳だった。心が豊かに楽しく暮らしていれば、人々は長生きで君子不死の国だ。婦人は淫せず男女の道も正しく行われ、盗みをする人もいない。だから争いも少ない。[1,p145]・・・・(2)すべての人は神のいのちの分けいのちであるから、命(いのち)とかいて命(みこと)と呼びあった。男は日子(ひこ)=彦であり、女は日女(ひめ)=姫であった。つまり、太陽神である天照大神(あまてらすおおみかみ)のむすこであり、むすめであるとみたのである。(3)古代人は、ものをただの物体とは見なかった。そして、すべてを神のいのちの表れ、神の恵みとみた。すべてのものに神の命を見たからこそ、ありとあらゆるものに神の名をつけた。例えば、小さな砂粒にさえ石巣比売神(いわすひめのかみ)、木は久久能智神(くくちのかみ)、山の神は大山津見神(おおやまつみのかみ)というように。それぞれにふさわしい名がつけられている。それがのちに、「神話」の中でも、ありとあらゆるものが生き生きとした神の名をつけられて出てくるのだ。[1,p124](4)朝になれば太陽が上がって万物を照らし、鳥がさえずり始める。春になれば山の雪が解けて、草木が芽生え、動物たちも動き出す。我々の祖先は、すべての生きとし生けるものは、神の「分け命」として、その無限の恵み、慈しみによって生かされている。それを実感し、そこから湧き上がる畏敬と感謝、喜びが我々の先祖の信仰の中心にあったのでしょう。[1,p157]・・・・・相手の言葉を聞くのにも 「踏(うづく)まったり脆(ひざま)づいて恭敬な態度であった」というのも、お互いの言うことを神様の言葉として聴いて いたからでしょう。いい習慣だったんですね。