ココロで話す
仙台から帰ったその足で服を着替え身なりを正し
私はひとり新潟県長岡市に向かいました。
どうしても伝えたいことがあったんです。
看護師になり配属先の病棟で新人は私ひとり。
1から育ててくださった“師長=東京の母”の訃報。
大宮で新幹線改札に入った瞬間から大粒の涙が流れてきました。
話したい事が沢山ありました。
開式の2時間前に着きご遺族に挨拶をし対面させていただきました。
一生懸命生きぬいたお姿でした。
ナースキャップを隣に、白衣もお持ちになり休まれていました。
先輩後輩と“母”を囲み想い出話をしました。
「若い頃は無茶をしてもいいのよ」
「貴方が心配でしかたないわ」
「泣かないの、笑ってなさい」
声が聞こえてきました。
私は5年前“母”にわがままを言い、勉強の旅に出させてもらいました。
今の心境を聞いてもらいたかったんです。誰よりも。
少し成長した姿を見て欲しかったんです。
先が見えなくなった私に喝を入れて欲しかったんです。
“母”は「いい勉強してるじゃない。嫌なら休んで戻ってらっしゃい」
「また白衣着なさいね」そう言ってるようでした。
“母”はやっぱり“母”でした。
新しく歩く道を開いてくれました。
私、少し休んだら白衣を着ようと思います。
今日お会い出来て本当に良かった。
師長、ありがとうございました。
そして、これからもよろしくお願いします。