市川海老蔵の哀しみ
インタビューに答える市川海老蔵を見て、ひっかかるところがあった。相変わらずこんな場でもチャラい感漂わせてるなあ。中村勘三郎の時の勘九郎のそれと比べた方も多かっただろう。比べる対象があるだけに、海老蔵のチャラさとにじみ出るふてくされた感じにがっかりした向きが多かったのではと推測する。何度も放送されるその姿を見て、私が何にひっかかったのかようやくわかった。亡くなった父親に対して、しばしば敬語を使っているのである。30もとうに過ぎた大人なんだから、いくら混乱してるとはいえ、そこは言葉を選ぶべきだろう。と思ったのだが、同時に、この人にはそもそも父はいなかったのではないか、と思った。敬語を使うのは、師匠だから。生まれた時から大名跡を継ぐことを義務づけられていた。分別つく前からわけも解らぬうちに稽古させられていた。「アダルトチルドレン」という単語が頭をよぎった。貴乃花親方の姿もかぶった。無論、歌舞伎役者の家なんて、多かれ少なかれどこも同じだろう。それでも連綿と受け継がれてきたのだから、心の内の空疎もまるっと抱えた上で、先人は精進してきたはずである。師匠≠父の死は、海老蔵が化ける最大にして最後の機会かもしれない。会見中、言わなくてもいいのに「僕はやんちゃで」等の、つい自己顕示をしてしまうあたり、役者としての必要十分条件を満たしている。がんばれ海老蔵。