学校でずっと、
今起こっていることに意識を向け、
これから起こることを想像し、
そうやってずっと自分が今何をすべきか、これから何をすべきか…
そんなことに集中をしていくのは、れんれんにとってすごくすごく大変なこと。
たくさんの情報を受け入れ、整理し、分類、分析していく。
どの場面でも私たちはそうやって暮らしている。
それも自分では意識していないけれどそれはきっと驚くべき速さなのだと思う。
れんれんはそんな風にフル稼働していたら、
回線フリーズのシャットダウン。
そんな時に、まわりからみたら「ちゃんとやっていない」風に取られるんだと思う。
ゆっくりゆっくり情報を整理する時間はとっても必要。
クールダウンする時間もとっても必要。
ぼんやりしたり、時には鉛筆で遊んでしまう時間はそういった必要な時間なのだ。
けど、「ちゃんとやらなきゃ」って思っている子にとっては見逃せない。
時には、「こんな風にやるんだよ…」って教えてくれたり、
時には、「だめだよ」って注意をしてくれたり、
でも、れんれんにそれがちゃんと届かなかったとき、
「なんで、ちゃんとやんないの?」ってなる。つづけば、ますますその思いは募る。
クラスでそんな風になっちゃった男の子がいた。
あまりにれんれんが「ちゃんとしない」から、
だんだん優しい気持ちはなくなって、なんだかもやもやしていたものがくすぶり始めた。
他の子がれんれんと約束すると、
「れんれんと遊ぶの?」って意地悪っぽく言ったり、
「れんれんは駄目だよ」って仲間に入れないようにしたり、
遊びに行ったお宅では、何かひどいことを言ったらしい。
そのお宅のママは、
「私はよそのお子さんでも、駄目なことは怒ります」って、
れんれんへの暴言を注意してくださったようだ。
男の子はお家でも、「れんれんがちゃんとしない」とお話していたようで、
お母さんは懇談会での私の話を聞いていた方なので、
ここでもまたれんれんのフォローをしてくださっていたようだ。
学校でも先生がれんれんのフォローをする。
彼にとっては「ちゃんとしてないれんれんをみんながかばう」
になってしまってはいないかなあ…と思った。
家庭訪問のときに、先生から一連の話を聞いた。
れんれんから聞く彼の様子も気になっていたので合点がいった。
れんれんに直すべき点もあると思う。
でも、すぐには難しいところ。
無意識のうちの行動が多いため、なおさらだ。
れんれんには、
「○○君は、意地悪で注意したんじゃないんだよ。
ちゃんとしたほうがいいかなって思ってたんだよ。
けど、れんれんは鉛筆で遊ぶのをやめないから、筆箱を取り上げちゃったんだね。
れんれんも、ずっと集中するのが難しいときがあるから、悪くないんだけどね…。
もし、意地悪されたら、なんで?って聞いてみようか?
鉛筆で遊ぶの気をつけているんだよ、って話してみようか?」
結局、先生が席替えをしてくださったから、今は距離ができたので、落ち着いている。
先生も、特別支援学級での授業で中抜けすることを、うまくクラスでお話してくださった。
先生の言葉が彼の中にどこまで届いたかはわからない。
「一度、○○君の思いを受け入れて、それから…でもね…って続けてあげてください。」
そうお願いした。
私が彼と向き合うのは今の段階ではやっぱり難しい。
お母さんじゃないし先生じゃないし…一緒に過ごせる時間もないに等しい。
彼の中に何か触れるべき場所がある気がする。
じゃないと、また同じことが起こるかもな…とも思っている。
ゆっくりと、気をつけていきたい関係ひとつ。