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November 10, 2010
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カテゴリ:暮らし
まずは、前回の続きから、陶淵明(4世紀ごろ)の菊酒のお話。

菊水伝説は、まさに4世紀ころから広まったと言う。
これは、
菊の群生地にある河の水を飲んで暮らす里人が、長寿の仙人である。
という伝説で、
古来薬効のある菊の成分が川水に染み出したとされる。
この伝説から、菊酒の習慣が発していると言われる。

残念ながら、現時点では「四世紀の本」としか確認できず、
正確な出典がわからなかった。

国立歴史民俗博物館「くらしの植物苑」(2002年10月21日)

(参考)


また、中国で菊酒というと、文字どおり菊から作るものだという記事をみつけた。
梅酒やハーブ酒の一種と言える。

(参考)


が、件の詩には、はっきりと「秋菊」を「つみ」「うかべて」と詠われている。
浮かべて飲むのが一般的でないとすれば、
陶淵明一流の風雅であったのかもしれない。

菊を浮かべて飲むのは、中国古来の風習だとする説も散見されるが、
こちらも出典を明記したものが見つけられず、真相は藪の中。 

以下の記事中に、4世紀に結婚式の祝い酒として、紹興酒を美麗な絵付けをした甕に入れたという記述がみえる。
紹興酒関連記事

透明なお酒ではなくて、
もしかしたらあの飴色のお酒に、黄色の菊を浮かべたのだろうか。
食用菊は、日本だと黄色とピンクを思うが、
菊水伝説関連では、「白菊の群棲」という記述もみつけた。
色彩的には、紹興酒なら白菊がよさそう。

wikipedia の参考文献にある、
花井四郎『黄土に生まれた酒 - 中国酒、その技術と歴史』東方書店、1992, ISBN 4-497-92357-6.
も気になるが、未読。

まあ、そんなこと忘れて、
ゆるりと独り、杯を重ねるのが吉。
呑まないひとも、独り気ままに夜空でも眺めれば、

イササカ マタ コノセイヲ エタリ

である。

最後に、本文を載せておく。
手持ちのテキストと一部表記が違うが、
「陶淵明 詩と構想の世界」さんから読み下しをコピーさせていただく。
なお、忘憂の物 とは酒であり、駒田信二『漢詩名句 はなしの話』の註によれば、
『詩経』のなかの一遍にたいする毛伝(毛チョウの註)に由来する。

  秋菊有佳色  秋菊 佳色あり
  衷露採其英  露を衷みて其の英を採り
  汎此忘憂物  此の忘憂の物に汎べて
  遠我遺世情  我が世を遺るるの情を遠くす
  一觴雖獨進  一觴獨り進むと雖ども
  杯盡壺自傾  杯盡きて壺自ら傾く
  日入群動息  日入りて群動息み
  歸鳥趨林鳴  歸鳥林に趨きて鳴く
  嘯傲東軒下  嘯傲す東軒の下
  聊復得此生  聊か復た此の生を得たり


そして、イササカ唐突に、甲賀忍法帖である。
実はこの小説、飲食の描写が皆無。
たったひとこと「宴もつきて」と言うような言葉はあるのだが、
実際の酒宴なども無い。
菊酒のことばかり考えていて、ふと、気づいた。
時代劇といえば酒宴、剣豪と言えば酒、という概念に毒されていたが、
そんな画面は不要とする作家もいるのだなぁ。

以前から読もう読もうと思いつつ機会がなかった一冊。
近年、映画や漫画で流行したが、古本に案外出ない。
100円本を唯一みかけたとき、「最近はやったから、もっと安くでるかも」
と見過ごしてしまい、後悔している。
結局420円の角川文庫版を購入。
用もないのに、初版&美本。
読めればいいものに限って、こういうものが手に入る無駄。

文体はスッキリと読みやすい。
どこか岡本綺堂を思わせる、淡々とした語り口。
一気に読了させる、展開のうまさ。
見た目にも読みやすい、表記法も含めた、天性の文章力。

残酷美。
非恋の結末も、ただ美しく悲しい情景ではなく、
グロテスクとも言える描写で閉める。
そして一転、高く飛翔する結びの一文。
全体を通して、実に空間を感じさせる作品だった。

娯楽小説なので、葛藤だとか人間性だとか、そういうところは、
物語のキッカケや彩どりにすぎない。
そのあたり、文学作品と主客転倒しているのが面白い。

ある時代の、古い文体、古いスタイルなのだが、現代の若者にも受けている模様。
現代大衆小説における、曲亭馬琴くらいの位置づけにされている節もある。

映画 shinobi と アニメ バジリスク~甲賀忍法帖~ も観る機会を得た。
どちらも、朧さん(ヒロイン)視点に重点がある感じ。
アニメにいたっては、各人物のサイドストーリーを加えたために、
ますます弦の介が希薄な存在になっている。
原作ファンからも受け入れられた漫画化をアニメにしたそうだが、
私、朧の絵柄はかなり苦手で、イメージも視覚的に違う。

そして、忍びのくせに、皆いちいち凶相を呈して憎しみをぶちまける。
原作には、虐殺的なホリックはない。
残虐美といえば、もう少し様式的で静かである。

原作世界の表現には、こうしたバイオレンスはなかった。
ニタリである。
ニッと笑う凄惨な笑みである。
岡本綺堂にもよく出てくる、あの、うすら寒い笑みである。
にんまりでもなく、にやりでもない。
ここは西洋的肉感ではなく、日本怪談的ゾッとするような笑みこそふさわしい。

西洋ホラーみたいにズガズガ刺したり、それをことさら口にしたりはしない。
特に、蛍火にはがっかりした。
虫つかいの女というブキミな美しさ。
どうしても『箕輪の春』を思い出してしまう。
そうした悲しさ、一途な恋心と少女特有の冷酷。
第一、狂気して何度も刺すのは暗殺者のトドメではないと思う。
時間もかかるし、かえり血もあびるし。
確実に、スタイリッシュに、静かに、迅速に。
そして、こともなげに。
それが蛍火のイメージなんだが。

この蛍火は好きではないのだけれど、
箕輪の春の「小女」が好きで、重ねて観てしまうと、
健気さにホロリとさせられる。
アニメにはそれがなく、
映画にはイメージのみは、ほぼそのままだが、活躍がなく。
残念なことだった。

映画の弦之介は、画面に登場するたびに、どうにも
「今までどこにいましたか」「このひとだれですか」と聞きたくなるほどだ。
アニメは、映画ほど存在感は薄くないが。

この2作品には「甲賀忍法帖」という題名はそぐわない。
実際、映画には『甲賀忍法帖』というタイトルはつけられなかった。

原作小説は、あきらかに表題どおり「甲賀」が主体で、
伊賀がなんとなしに悪者と感じるしくみになっている。
それだけに、朧の一筋の思慕が哀れだ。

主人公である甲賀弦之介が、古いタイプの好青年であったために、
現代のエンターテイメント的には地味すぎたのかもしれない。
ただ、古いタイプの人間であるからこそ、
ラストの開眼シーンが活きるように思うのだが。

思いのほか長くなってしまった。
本日これまで。





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Last updated  November 10, 2010 12:18:39 PM
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