さようならはいつも。
2年前から、介護ディーサービスの施設にお手伝いに通っていた。
なぜ?と聞かれたら理由はいろいろあるけれど。
母の介護が満足にできなかった
やり残していることが、たくさんあるようで。
そんな穴埋めにいかれたらたまらんわ
と、お叱りの声もあるかもしれないけど。
試行錯誤しながら、通っていて、いつも気になる95歳の小夜子さんが昨日天国に召された、と聞いた
小夜子さんは、亡き父と同じ年、そして故郷も偶然同じ村だった。
ひょっとして、同じ机を並べて勉強していたなかかもしれないね、と話したこともある。
耳が遠かったので、筆談でいろんな話をした。
昨年、小夜子さんの夫が亡くなられた時はかなり悲しさからぬけでるのに、時間がかかったけれど。
それでも持ち前の明るさで、元気をとりもどされ、1日も休まれることなく通ってこられた。
小夜子さんは、画伯と皆が認めるほど、絵が上手で塗り絵をしても、色の濃淡や細かさ、こだわりの強さで秀でておられた。
作業を始められると、没頭されるのでその時間は誰もはいりこめない。
そんな芸術的才能もあるかただつた。
今年に入ってからは、転ばれて顔中アザだらけになったこともあったっけ。
ヘルパーさんに、紹介された病院がわたしの通っているところと同じで、情報交換などしているとき、娘がジカセン手術することを知り。
毎日祈ってくださっていたそうだ。
そんな優しい小夜子さんだった。
庭で転倒去れ、入院されたのは10日前だと記憶する。
訃報を聞いたのは昨日。
命の儚さを思いしる。
今はただ。
小夜子さんとめぐりあえたこと。
楽しい時間を共有できたこと。
ご冥福をお祈りします。