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カテゴリ:のりもの
週末にヲタの殿堂・鉄道博物館に潜入を試みようとした私達。
鉄道博物館へは、JR大宮駅で埼玉新都市交通・ニューシャトル(以下ニューシャトル)に乗り換えて一駅なのですが、このニューシャトルという乗り物の面白いこと。(行く前からすでに面白い) 上越・東北新幹線の高架部分を活用した全長12.7キロを走る公共交通機関なのですが、 新幹線が飛ばしていくすぐ横をおもちゃの如き車両がゴトゴト走るという対比がいいのですね。 さて、鉄道博物館(大成)駅で下車、改札口を抜けると 新幹線開業当時の時刻表などが私たちを博物館へと導いてくれます。 JR東日本のマスコットであるペンギン達の大歓迎を受けて中へ入るとそこは コドモは喜び、 大人は懐かしむ鉄道のパラダイス。 いやぁ、懐かしい。 これらの特急を懐かしいと思う貴方は結構な歳だ。 「JR」ではなくて「JNR」、そう「国鉄」ですよ。 私はこの国鉄色といわれるこの色、大好きですねぇ。 中に乗り込むことができるのですが、座っていると気分は発車を待つ旅人。 座っているほかの人々もそりゃ楽しそうです。 このテーブルを見てくださいよ。昔はみんなこうでした。懐かしいねぇ。 こちらはまだ現役で走っているのと同じ機関車ですが、 「鉄道博物館勤務を命ず」なんて辞令が出てこちらにやってきたのでしょう。 「オレはもう走れないのか~」と飲めない酒を飲んで荒れたかもしれませんね。 こちらの0系の新幹線は以前秋葉原にあった交通博物館にあったもの。 この方もまた移動を命じられて大宮の勤務となったのでしょう。 まあるい顔をしたこの新幹線。私などは新幹線というとまずこの顔が思い浮びます。 昔は子供の絵本では「しんかんせん ひかりごう」などと英雄のように描かれていたこの0系新幹線、今年でついにすべて引退です。 昨年10月にオープンしたこの鉄道博物館。 まだ混雑して身動きが取れないのではないかと思っていたのですが、 スペースに余裕のある建物なので十分に楽しむことができました。 ジオラマの観覧や、ミニ列車の運転は長蛇の列です。 その人気のミニ運転列車ですが、このような敷地内を埼京線や特急あずさ、成田エクスプレスのミニ車両を運転できるもの。う~ん、これは子供だけに運転させておくのはもったいない。 こちらは広い敷地内でお客様を運ぶ無料シャトルの「はやて」(東北新幹線)なのですが、 これがもう、ゆ~っくりゆ~っくり走っており、見ていると遅々として進みません。 これはもはや「はやて」ではなくて「おそて」だわ。 懐かしいものがたくさんあるこの博物館で、ある一定以上の年齢の人々の心を捉えて離さないのが この「日本食堂」(現在は「NRE-日本レストランエンタープライズ」JR東日本のみ)。 新幹線がコックさんの帽子をかぶっているこのマークに郷愁を覚える方も多いでしょう。 現在食堂車というと一部の寝台特急にしかついておらず、おまけに値の張るディナーは予約しなければならないという気軽に利用できないものとなってしまいましたが、以前長距離の特急がたくさん走っていた頃はほとんどに食堂車が連結されており、発車して間もなくオープンしてから終点間近まで営業していて飲み物から食事までいつでも誰でも気軽に利用できるその存在は動くファミリーレストランのようなものでした。 私も父が好きだったので子供の頃はよく連れられて行ってサンドウィッチなど食べたものですが、当時の食器はちょっとやそっとの衝撃では絶対に割れないような分厚く頑丈なものだったのを今でもよく覚えています。 私は高校生の時に北海道から単身で青森の学校に行っていたので、 夏・冬・春と五月の連休に自宅に帰省する際は本当によく鉄道のお世話になりました。 私がヲタになったのはそのためかもしれません。 当時はまだ青函連絡船の時代で、深夜に青森を離れる連絡船に乗り込むと函館到着は明け方。 連絡船を降りるとまだ薄暗い函館駅のホームでは特急のヘッドマークがボヤーッと光っていたものです。 特急の中ではよく隣の人と話をしました。 妙ななぞなぞに付き合わされて寝たフリをしたこともありました。 話をしているうちにしつこい相手(♂)に嫌気が差してきて乗換駅でとっとと逃げたこともありました。 網走の自宅まで真っ直ぐ帰ればいいものを、とんでもない方向に寄り道しては帰ったこともしょっちゅうでした。目的地まで真っ直ぐ行かないのは現在も同じですが、この頃から何も変わってはいないのです。 昔むかし、夫が北海道を一人で旅していたときのこと。 とある駅でそれまで乗ってきた列車の切り離し作業が行われるので、 夫は駅のホームで立ち食い蕎麦など食べることにしたそうです。 ある方向へ行く列車は22分の停車時間、もうひとつの方向へ行く列車の停車時間は4分で、夫は自分の乗る列車の待ち時間が十分にあることを確認してお蕎麦を食べたらしいのですが、二口目をすすったところで自分の乗る列車(自分の荷物も置いてある)が急に動き出したので慌てて駆け寄ったところ、何とか停めてもらうことができて無事に乗車できたのだそうですが、夫は停車時間のカン違いをしていたのでした(乗るのは4分の方だった)。 一口しか食べていないお蕎麦はそのまま置き去りにされたそうです。 もう40年近くも前の話。 当時高校の教員をしていた父は何かのために何人かの生徒を引率して網走から札幌まで行ったのですが、その帰りに途中の旭川の駅で停車時間があったのでホームに立ち食い蕎麦を食べに出たのだとか。 発車のベルがなったので慌てて列車に駆け込んだところ、乗り込んだのは別の列車。 網走行きの列車は無常にも生徒と父の荷物をのせて行ってしまったそうな。 結局母に電話をして生徒と荷物のことを頼み、自分は旭川の駅で一泊して翌日帰ってきたそうな。今だったらクビになりかねないとんでもない話ですが、いい時代だったのでしょう。 もう姿を消してしまった特急に、青森-大阪間約1000キロを13時間ほどかけて走る「白鳥」という特急がありました。乗りたいと思いつつも機会がなくて実現せぬままに終わってしまったのですが、こんなに心残りだったことはありません。 「白鳥」の廃止が決まった時には驚いて真っ先に業務で一緒する鉄道好きの方に教えました。 その方は現在私の夫だったりします。 鉄道はドラマだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.01.28 16:55:03
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