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カテゴリ:新田義貞あれこれ
新田義貞が最期を遂げた藤島の戦い(8月29日の日記参照)に出てくる足羽7城に、どの城(砦)が該当するかということについては、識者の間で見方が分かれており、今後の論議の行方が関係者の関心を集めそうです。 一方、福井市史では「太平記にいわれる『足羽ノ城』が具体的に何を指すのか明らかでないが、北朝軍の斯波高経方の複数の城の総称であるらしい」としています。その上で、下記の通り、現市街地周辺に点在する従来からいわれてきた「足羽7城」とは違った独自の見方を示しています。 具体的には 太平記の記述にはつじつまの合わない部分が多くあり、史料的価値の信頼性については議論もあるが、「7つの城」と記されており、「7ヵ所」に城をこしらえたとは書いていない。これは明らかに7つの城が波羅蜜、藤島城、江守城、安居城のように個別の城ではなく、別のひとまとまりの地域として記述していたことの傍証ではないか、などと述べています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年09月16日 11時26分07秒
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