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カテゴリ:福井城址あれこれ
結城秀康は慶長6年(1601)、越前に入国すると早速、北庄城(のちの福井城)の改築工事に取り掛かり、本丸は、かつての越前領主・柴田勝家が築いた北庄城本丸(足羽川北岸の柴田神社付近)より1千mほど北へ築城、しかし全体としては、勝家の北庄城を基盤に拡充・整備したようです。縄張(城郭の設計)は本丸を取り囲むように二の丸、三の丸、さらには二重に外郭を配した五重の環郭式城郭だったといわれ、68万石大藩の居城にふさわしい規模であったようです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年02月06日 16時52分26秒
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