加賀口御門が置かれていた所 幕末に描かれた加賀口御門の外側
手前が御門内側 (福井城址案内板より)
福井藩城下の最北端には、加賀方面に通じる北国街道を遮断するように、堅固な防衛拠点「加賀口御門」(松本2丁目)が置かれていました。今は石碑が建っているだけですが、付近を流れる用水が当時の堀の名残をとどめています。これは百万石の外様大大名、加賀藩・前田氏からの攻撃に備えて造られたものです。加賀口御門は、この門を中心に東西に長く、西別院東方から神明中学校正門付近まで、堀と土居が築かれ、同御門外側の三方にも堀が巡らされていました。当時は、同御門付近だけでなく城下全体を堀と土居で囲うことを計画していたという。また付近には、西別院や興宗寺などが東西に並ぶ寺町が置かれ、それが城下北方の防衛も兼ねていたようです。