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カテゴリ:福井城址あれこれ
写真は、中央公園(3月4日の日記参照)の一角にある岡倉天心像です。東京美術学校の設立に貢献し、日本美術院の創設者としても知られ、近代日本美術における最大の貢献者のひとりといわれています。 また、天心が自ら英文で執筆した「The Book of Tea(茶の本)」をニューヨークで出版するなど、それらを通して、東洋や日本の美術・文化を欧米に積極的に紹介したことは広く知られているところです。 福井藩士だった天心の父、岡倉覚右衛門は、横浜で貿易商「石川屋」を経営、そこでは藩特産品の生糸絹袖(きぬつむぎ)などを取り扱っていました。天心は横浜生まれですが、両親が福井県(越前)出身だったこともあり、福井県を心のふるさとしてこよなく愛したという。 ところで岡倉家の祖先は、戦国時代の越前支配者、朝倉氏(朝倉遺跡のページ参照)と伝えられています。これについては、天心が息子の一雄に語った話として一雄の回想記録に記述されているという。また、岡倉家は代々、福井城下のはずれにあった志比口筏町(福井市宝永1丁目付近)に居住していたようです。岡倉家の菩提寺は西超勝寺(福井市東藤島)です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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