気付けば今日は母の日
というわけで母の日でしたね。母の日と云えば、カーネーションをあげる、みたいな。これもある種の陰謀ですよね。たぶん花屋関係の。バレンタインにチョコをあげるという習慣もお菓子メーカーの陰謀説があったりします。それと同じです。もっと云えば、1月1日はおせちを食う2月3日は豆を撒く、年の数だけ豆を食う3月3日は雛人形を飾る5月5日は鯉のぼりとか兜を飾って柏餅を食う8月の盆はきゅうりでお出迎えしてなすでお見送り9月は月を見ながら団子を食う12月24日はキリストの生誕を祝う…などなど、これら全て、何者かの陰謀なんじゃないかと思います。昔からの慣わしだと云えばそれまでかも知れませんけど、今現在、これらを初めて執り行なった人間は存在しないのが現状だし、そういった人間の意志を全く違えずに継承している人も恐らくいません。初めて執り行なった人間の意志こそが、これら行事が持つ意味であるわけです。もしかしたら、今現在伝えられているようなことじゃなく、もっと何か陰謀めいたことを考えていたかも知れません。お盆のきゅうりとなすに例えて簡単に説明すると、「馬に乗って早く来て下さい」の意味を持つきゅうりと、「牛に乗ってゆっくり帰って下さい」の意味を持つなす。そんなのは建前で、単純にきゅうりとなすが売れるように画策しただけかも。…というわけ。あくまで私個人の推測です。こうして誰もが、知らない誰かの陰謀に乗せられているわけです。そのことに気付いている人は一体どれくらいいるのでしょうかね。若しくは私自身が要らぬ被害妄想に駆られているかです。たぶん、この記事を読んでいる人の9割は、「お前の被害妄想だよ!」と笑い者にしたいでしょうけど、世の中は意外なところで意外な陰謀があるものなんです。疑って生きることも時には必要だということです。何せ、正直者がバカを見る世の中ですから。で、話を戻しますけど、今日は母の日ですね。通常であればカーネーションを贈るところですが、私の母はカーネーションが嫌いなので、毎年別の花を贈っています。まぁだいたい紫陽花ですね。私自身、紫陽花好きですし。中でも青いのが好きです。ですが、今の私には紫陽花を買う財力がありません。ピンキリですが、安いので2,000円、高いので5,000円くらいです。だいたい毎年3,000円くらいのを買ってます。が、今年はお金がない。一番安い紫陽花は2,300円でしたが、私の財布の中身は…なんと1,500円。余裕で買えませんorz仕方ないので、別の何かを探しました。紫陽花が買えない今、安くてカーネーションじゃなければ何でもいいやということで、これに決めました。ゼラニウムです。けっこう安かったです。細々としてて素朴で、なんかおもしろいですし。ま、こういのは値段じゃないんです。そう自分に云い聞かせます。花弁拡大。因みにゼラニウムの花言葉は、「育ちのよさ」「真の友情」「愛情」「安楽」「追憶」だそうです。というわけで、ゼラニウムを贈りました。贈るのはいいけど、母の日にはこうして毎年花を贈っているのに子供の日には何もありません。いくつになろうが、親にとっては私は子供(の筈)です。与える一方で見返りがありません。なんか損した気分です。ま、別にどうでもいいですけど。話は変わりますけど、母の日はカーネーションという定番品があるから贈り物選びに困ることはありませんけど、父の日って、定番品ないですよね?よね?因みに、ネクタイは却下です。私の父はネクタイを使いません。何を贈ればいいのか皆目見当がつきません。まぁとりあえず、ビールでも買えばいいかなと思ってます。