【時計:コラム】古(いにしえ)の技術について考えてみる(第4回:アンクルのバランサー)
最近やたらと時計が高い!趣味の時計集めが思うようにできません。こんな時はちょっと発想を変えて、新しい時計の情報収集は一休みして、機械に対する知識欲を満たすべく自ら勉強しながらコラムを始めたいと思います。 最新の機械については雑誌などでも盛んに取り上げられているので、あえて役に立たない(!?)過去の技術について考えてみたいと思います。前回までの内容第4回:アンクルのバランサーについて 100年以上に渡り殆どの機械式時計の脱進機として、現在もその完成度の高さから主役であり続けているレバー脱進機(アンクル式、クラブツース、ストレートレバー、イングリッシュレバー、スイスレバーなど、形状の違い等で呼び方やカテゴリ分けは種々ありますが)。この脱進機を構成している「レバー」、例えば最も普及しているストレートレバー(スイスレバー)脱進機でいうところの「アンクル」と呼ばれる部品ですが、機械式時計の精度を司る輪列を構成する部品の中で、唯一回転軸に重心がない部品です。もちろん厳密に言えばどの部品も軸芯に完璧な重心があるわけではありませんし、ひげゼンマイまで含めるとテンプと言えど重心は軸芯からずれてしまいますが、基本的には回転体の重心をとることは非常に重要であり製造者や修理技術者は大きな注意を払います。アンクルにしても軸芯に重心がないよりあった方が姿勢差への影響は少ないということくらい素人でも気が付くことです。しかしアンクルはそもそも円形ではなく、テンプ、ガンギ車との位置関係やレバー脱進機の力学上の都合で軸芯は決定されます。 しかしかつてアンクルの軸芯に重心を合わせようという試みがされた時代がありました。というか昔からこういった考え方はあり、手間を考えるとある程度の高級品にしか採用されなかったといったところでしょうか。要はカウンターウエイト(バランサー)を付けて軸芯に重心を持っていこうという発想で、特にびっくりするようなことではなく誰でも思い付くようなことですね(身も蓋もないですが^^;)。大体下図のようなタイプが存在し、20世紀初頭(1920年ころまで?)までの高級機に見ることができます。触覚型は様々な形状のものがあり、単にバランサーとしての役割だけではなく芸術的な要素を多分に含んでいたものと思われます(どうせ付けるなら見栄えのいいものを、ということでしょう)。 ただし小さなアンクルにこれまた小さなバランサーを付けるというのは、やはり大変な作業だったのでしょう、年代が新しくなるにつれ一部の高級機にしか見ることができなくなります。中でも「ムスターシュ(口ひげの意)」と呼ばれるタイプは見栄えも良く、また本当にごく一部の高級機(パテックやバセロンなどの天文台コンクール品やそれに近いもの)にしか見ることができないため高額で取引されることが殆どのようです。 ちなみに下の写真は1906年頃のバセロン製ムーブで、触覚型のバランサーが付いたものです。きっちり面取りしてあり流石バセロンといった感じです。 ちなみにイングリッシュレバータイプのレバーにもバランサー付きのものが多くあります。イングリッシュレバー自体数が少ないのでなんとも言えませんが、こちらの方がバランサーを付けるのが一般的だったようです。 ところで肝心の精度への貢献度合いはどうだったのでしょうか? 先にも触れましたが、アンクルのバランスがとれていれば当然姿勢差への影響は少なくなり、理論的には高精度に貢献するはずです。しかしマイナス要素もあります。アンクルの重量増加です。アンクルはテンプの軸にある「振り石」からの力を受けたり、ガンギ車から押されることで左右に往復運動します。振り石の力(テンプの回転力)でアンクルが動かされるとき、テンプにはブレーキがかかることになります。ブレーキの力は、アンクル軸受けの摩擦、アンクル爪とガンギ車との間に発生する摩擦と「引き」、そしてアンクルそのものの慣性力(静止から動くときの)が主な要素です。このうちアンクルの重量増加は慣性力の増加に繋がり、テンプの自由振動を妨げる方向に働くことになります。テンプの振動は当然100%自由振動ではありませんが、自由振動に近い方が振り角の変化に対して等時性を維持しやすいものです。 バランサー追加による重量増加がどれ程の影響を与えるのか、またアンクルのバランスがとれることによる姿勢差の改善がどれ程のものなのか私には判断できませんが、何れにしてもほんの些細な影響だったのではないかと思います。その後全く作られなくなりましたから(?!)。そんなことより部品の仕上げレベルや組み立て精度、調整の慎重さなどの方が遥かに重要で、アンクルのバランサーの有無などは結局「取るに足らない」ことだったと、手間ばかりかかって実はあってもなくても大差ないということであれば、廃れるのは仕方ありません。 しかしこういった一見「無駄」と思えるところに惜しみない努力を注ぎ込んだ機械というのは本当の意味で「高級品」と言えるのではないでしょうか?知識の部屋へ書籍コーナーへ