カテゴリ:現代短歌の曠野
はかなごとおもひてをれば秋晴れに今朝は秩父のやまなみは見ゆ 京橋区と日本橋区と合はさりて味気なき名の中央区成りぬ 中央区といふは東京駅のひがしより春のうららの隅田川までをいふ いにしへの貴人のごとく白鷺一羽田植ゑをはりし田中をあゆむ ぬくもりはいまだのこりてなきがらの母の額にわれは手を当つ 母が耕す鍬に小石のあたるおとかちりかちりと忘れざらめや 明治より四代生きて生き尽くせし母よと思へばかなしみはなし 真言宗の父子の僧がこゑあはせ経よむときの夏のすずしも 泥棒に入られたることいちどもなく七十年過ぐ 泥棒よ来よ ありのままなる現実を歌によむことのむつかしわれは希へど 父の日にむすめがおくりくれたりし夏掛け布団の肌ざはりかな ひとつづつたまごの中に鰐がゐて鰐のたまごといふはおそろし 駅階段一段とばしに駆けあがり空に消えたり女子高生は ヴァイオリンのケース背に負ひ乗りきたりにほへる少女春の電車に わが進む路はゆきあたりばつたりにしてときにイヌフグリの花などが咲く 歌はおろか文学に縁なきふたりのむすめ父の日にパジャマ買つてくれたり 歌つくるは魚釣るごとし虚空よりをどる一尾の鯉を釣り上ぐ 雀宮に降りゐし雨は宇都宮に来しときあがる悲しきまでに 宇都宮の宮の橋よりながめたる川の流れはおもひをさそふ なにか一言いはないと済まぬ性格といふものありてわれは好まず カソリックより別れし東方教会にヨーロッパを憎むこころあらずや 万葉集に「恋我」と書かれし古河のまちしづかに梅を咲かせてゐたり 五十一年ぶりにすがたをあらはせる革共同清水丈夫八十三歳 松林のなかにひともと辛夷の木しろく花つけ春は来向かふ 日露の役たたかひたりし祖父が出征に携へしサーベルぞこれ 開け放つ窓より二羽のつばくらめ家に入り来つ吉兆ならむ 歌集『サーベルと燕』(令和4年・2022) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年03月23日 08時08分18秒
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