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■ フジテレビ「Live News α」が内部審議入り
堤礼実アナの扱いが物議「男性向けの目線で…」 【アサヒ芸能 AsageiBiz 2024 前半BEST記事】 ・・・まったく、今年前半、最大級のがっかりだった。 「フジテレビ番組審議会」(脚本家の井上由美子氏と小山薫堂氏、学者の齋藤孝氏、三浦瑠麗氏らで構成)とやらが、こんなことにまで口を出していいのかよ。 これぐらいの演出は、表現の自由じゃないかよ と声を、いや文字を大にして言いたい。 こんなこと、コンプライアンス(遵法意識)の問題ですらないだろう。 ある種のイデオロギー的な一方的主張に押し切られただけではないのか。 きれいな堤礼実アナウンサーが、毎晩本当に可愛かった。 一日の終わりの、寝る前の心のオアシスだった。 堤アナは今も出ているみたいだが、今ではフツーのお堅い、クソまじめで面白くもない地味なニュース番組になり下がってしまった。 早稲田大学教授・岡室美奈子副委員長が、「やっぱり男性向けの視線で作られているようなところを堤アナの使い方を通じて感じましたので」として、「一日の終わりに経済番組を見るのは男性であるという思いこみがあるならば、そこはアップデートしていただきたい」とか言ったらしいが、「一日の終わりに経済番組を見るのは男性である」というのは、ほぼ事実ではないのか。 この人は、おおかた小うるさい小姑みたいなジェンダーフリー・フェミニスト論者なのであろう(全然知らないし、知りたいとも思わないが)。 これは、今では伝説的名番組とされている『8時だヨ全員集合』に猛抗議した、かつてのPTAと同じような論法である。 このようにして、世の中はどんどんつまらなく住みづらくなってゆく。 このような、一見些細なことをきっかけに、表現の自由はじわりじわりと真綿で首を絞めるように外堀を埋められてゆき、やがて国民もマスメディアも、言いたいことも言えない、やりたいこともやれない、どこかの独裁的権威主義国家のようになってしまうのである。 こういったことに鋭敏なはずのフジサンケイグループの雄が、一部の偏った意見に唯々諾々と従っていていいのか。 文学その他や、短歌の表現者諸兄も、決して人ごとではないと感ずるべきである。 戦前の芸能の「エログロ・ナンセンス」批判から始まった、全般的な表現の自由への制限・剝奪・弾圧の歴史を思い起こすべきである。 NHK朝ドラの前作『ブギウギ』の笠置シヅ子の、今の目で見ればどうということもないステージでのダンス・パフォーマンスも、公権力の強制力によって指弾された。 日本国の権力は、特に性的表現方面について過敏らしい。 「チャタレー裁判」で弁護側に回った先達の志を思い出さねばならない。 偉大なジャーナリスト、故・立花隆氏が、「マスメディアは(報道の自由に基づいて)自由に活動する。一部のメディアは、必ず『行き過ぎる』。が、民主主義は、それぐらいの塩梅でちょうどいいんだ」という趣旨のことを言っていたことをはっきりと記憶している。今も名言と思っている。 マスメディアに限らず、表現行為に対する批判はきわめて慎重であるべきであり、神経質なぐらいでいいと、私は信じている。 ・・・ご清潔なファシズムよりも、猥雑な民主主義を お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年05月08日 04時09分42秒
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