落語「た」の59:だくだく
【粗筋】 貧乏所帯に嫌気がさし、絵描きに頼んで壁に箪笥や長持ち、長押の上に槍まで描いてもらって悦に入っている。これをまたそそっかしい上に目のよくない泥棒が盗みに入ったが、探ってみてやっと絵だと気が付いた。くやしいので盗んだつもりになろうと、「着物を風呂敷に包んだつもり……重くて持ち上がらないつもり……」と、演技を始める。目を覚ました主人も面白く思って、「槍を取ったつもり……鞘を取って2、3度しごいたつもり……えいッと一突きにしたつもり」「ううっ、無念……血がだくだくッと出たつもり」【成立】 安永2(1773)年『芳野山』の「盗人」が、浪人が裏店を借りて、壁に紙を貼り、家財道具を極色彩で描く。盗人が忍び込んで暗がりで手探りするが何も無し。灯りを付けて絵だと分かると、どっかと座って、「さても太い奴だ」『きのふはけふの物語』では、盗人が入ろうとするのを本物の槍でつこうとして、つい口で「ぐっさり」と言ってしまう。 安永4(1775)年『聞童子』の「仕掛」は、長屋に越し来て壁に絵を描く。盗人が入って箪笥や押し入れを開けようとするが開かない。これを見ていた亭主が、「野暮な奴だ。芝居も見たことがねえようだ」と言う。 上方の「書割盗人」を東京に移植したものとされ、上方では芝居で使う大道具で、家の様子を描いた書割を本物と考えて泥棒に入るので、ストーリーに無理はない。「盗んだ体(てい)」「槍で付いた体」という台詞がなんとなくのんびりしている。 原作と同じやり方があり、泥棒が入ったのを布団の中で笑うと、泥棒の方も「笑い事やあらへん」と盗みに掛かる。あらかた盗んだというので、これはいかんと「泥棒」と叫ぶ……このやり方は何だかおかしくって好きだ。 上方の評論家は、宇井無愁をひいて、上方の「書割盗人」に対して東京の「だくだく」、「延陽伯」に対して「たらちね」など、東京はずぼらな名前の付け方で工夫が無いと言うが、東西の落語の違いを理解しなければならない。大道芸であった上方だから芝居掛かった大げさなタイトルも付くのに対して、お座敷芸であった江戸、落ちやポイントの部分がそのまま題名となり、楽屋のネタ帳がタイトルになるのだ。分かりやすい状況、人物、落ちがそのままタイトルとなるのが当然なのである。 もう一つ、上方の評論家は真面目で、原作は浪人だから問題はないが、東京落語で町人が長押に槍を描かせるのがおかしいと言う。そもそも家財道具を絵に描く洒落者なのだから、槍を描かせても何の問題もない。こういう解説を読むと、上方では描かれていない品物をあるつもりで盗み、描かれていない槍を取ったつもりになるのだ……ああ、ややこしい。 絵を描いた先生がそれぎりになってしまうのが可哀相と、最後に登場させて落ちを言わせたのは立川談志。【一言】 はなし終えて楽屋へ帰ろうとしたら「面白かったつもり」と客にいわれました。すぐに、「いやな客のつもり、横っつらを張り倒したつもり」とやったらうけました。(柳亭痴楽:柳家三語楼(1)がこの噺を演じて下りようとした時、客が「ああ、おもしろかったつもり」と声を掛けると、三語楼が「客に受けたつもり」とやって平然と引っ込んだという話も伝わっている)