73:貸本屋の夢(かしほんやのゆめ)
【粗筋】 魚屋の金さんが講釈を聞いた帰り、小僧に打ち水をかけられてその店にどなり込み、そのまま二階でふて寝ををしてしまう。 気が付くと袋井畷で内藤新左衛門の活躍を見ており、鉄砲に驚いて逃げると川中島へ出る。ここも逃げると宮城野(みやぎの)、信夫(しのぶ)の姉妹が仇討ちをするところ。姉妹を助ける総髪の人は由比正雪で、姉妹と三角関係になってしまう。「うまいことやってやがる。年の順にといっても妹は若くて可愛いから捨てられねえや。困るといっても、こういう困るのはいいね。先生うまくやってやがる」 と自分の大きな声で目を覚ますと、貸本屋の二階だった。【成立】 貸本屋は風呂敷に本を包み、自分の頭より高く背負って得意先を回った。「かし本屋の風呂敷包は片々へかしぎ」(『古契三娼』)という状態だった。 夢の内容だが、最初の「袋井畷(なわて)」は武田信玄が京を目指した時、徳川家康を破ったが、その前哨戦で、家康の偵察隊を近くまでおびき寄せて蹴散らす、俗にいう「木原畷」の戦い。東海道五十三次の袋井に近いので、この戦いを言ったものか。 「宮城野、信夫」は、安永9(1780)年に初演された『碁太平記白石噺(いごたいへいきしろいしばなし)』。紀上太郎(きのじょうたろう)、烏亭焉馬(うていえんば)ら5人の作者によく共作で、由井正雪の慶安事件と、百姓の姉妹が武士に殺された父の仇を討ったという二つの実話を絡めて脚色された。芝居では姉妹は「きの」と「のぶ」、由井正雪は「宇治常悦」という名になっている。南北朝の時代、逆井村の悪代官・志賀台七に父を殺され、姉のきのは吉原に身を売る。台七はきのの婚約者だった谷五郎を犯人に仕立て、妹ののぶをだまして谷五郎に立ち向かうが、谷五郎の腕にはかなわず、台七は一人で逃げてしまう。残った家来から、実は台七が仇だと聞かされる。後、妹も吉原で奉公することになり、姉妹が再会すると、仇を討つために吉原から足抜けまで考える。協力者となった宇治常悦が、蘇我兄弟を引き合いに、時節を待つよう説得する。無事吉原から身請けされると、姉は鎖鎌、妹は薙刀を手に仇を討つ。これが浮世絵では「宮城野、信夫」という名前になっている。 天明8(1788)年の『いかのぼり』にある「雨降の本屋」が基本になっていると思われる。折角だから本文紹介。 昔、男、初冠(ういこうぶり)して、七里ヶ浜へ出けるに、「汐満ち来れば潟を無み」と詠じ給う時、大勢来たりて、敷き皮をしき、首打ち落とさんと抜き放せば、剣(つるぎ)に恐れ、巌(いわお)へ登るを、頼政きりきりと引き絞り、一度(ひとたび)放てば、千の矢先、雨あられと降りかかれば、小町はづぶぬれになりて帰りけるが、大木の松、枝を垂れ葉を並ぶ。上を見れば頼朝公の狩衣と、景清刃(やいば)をもって突けば、御衣より御血こぼるるとおぼえしが、雨漏りの音にて眼を覚まし見れば、貸本を枕。(原本かな書きなので、勝手に漢字に改めた。尚、最初の和歌も原作では「かたおみな」となっている) 伊勢物語から始まって、万葉集、こぶとり、頼政の鵺(ぬえ)退治、千手観音の千の矢、小野小町、羽衣、平家の景清が登場する、なかなかの名(迷?)文。 落語の方も、演者によって弥次喜多や八百屋お七、その他自由に加えて演じたものらしい。落ちが見え見えで、五目講釈は他にもあるので、演じられることはなくなっている。