88:鬼薊(おにあざみ)
【粗筋】 先妻の子清吉は、継母のおまさにいつも当たる。その日も金をねだって断られると、お膳を蹴飛ばして出て行き、飲んで帰って来た父親の安兵衛に、おまさが飯を食わせてくれないと言いつける。真に受けた安兵衛がおまさを殴っているところへ、家主が仲裁に入って安兵衛を自宅へ連れて行き、翌朝酔いが覚めたところで異見をした。真実を知らされ、清吉が店で小銭を盗んでいることをまで知った安兵衛は、家主の助言に従って清吉を奉公に出す。 十年ほどたってひょっこり清吉が戻ってきた。あまりなりが良いので、清吉を湯に出した後でおまさが財布を調べると小判が入っている。訳を問い正すと、奉公に出たのも束の間、悪事を重ねて今は「鬼薊の頭」と呼ばれている。今更改心も出来ないので勘当してもらいに来たと言い、またぽいと出て行ってしまう。それから三年、おまさはこれを苦にして病気になり、そのまま死んでしまう。残された安兵衛も身投げをしようとするが、これを助けたのが他ならぬ清吉。盗みはしているが、貧しい人にほどこしをする義賊という奴で、三十二歳で処刑されますが、その時に、 武蔵野にはびこるほどの鬼薊今日の寒さにしもと枯れ行く という辞世を残しました。「鬼薊清吉」でございます。【成立】 上方の人情話。「鬼薊清吉」とも。桂文我が演ったのを聞いたことがある。 安永5(1776)年に生まれ、文化2(1805)年6月に処刑された、実在の義賊・鬼坊主清吉がモデル。東京都豊島区雑司が谷の雑司が谷霊園に墓がある。元々は浅草吉野町の円常寺にあったが、大正2(1913)年に現在の場所に移された。墓の説明札には、辞世の歌を、 武蔵野にはびこる程の鬼薊今日の暑さに枝葉しほるる としている。6月の死であるから、こちらの方が正しいのだろうと推察される。 前半は「双蝶々」に酷似し、中場には「藪入り」を思わせる場面がある。古くは「藪入り」でも、演じる時間が長い場合、前半の継母に当たる場面を加える演じ手もあった。現在は「藪入り」は実の両親ということにするのが常識で、前半があると違和感を感じるのではないか。