落語「し」の13:時雨の笠森(しぐれのかさもり)
【粗筋】 草加の名主・山本忠右衛門は、非道忠右衛門と呼ばれる無慈悲な男で、博打で金に困ると娘を売る。長女のおせんは、谷中笠森稲荷の茶屋に売られ、笠森おせんと呼ばれて評判になる。次女のおみわは、隣家に引き取られて武家奉公する。 忠右衛門は、病に倒れた甥を見殺しにし、死骸を桶に詰めて千住大橋から投げ捨てる。 女房はとうとう夫に愛想が尽きて、悪事を暴き立てたため、忠右衛門は獄門、女房も大橋から身を投げる。 残された三女のお富は、忠右衛門に金をだまし取られた桶川の五平に引き取られるが、五平の女房・お兼が男と密通していて、五平が病になると、お富を吉原に売る。金が手に入ったお兼は、密夫の伊之助と共に五平を絞め殺す。湯灌をする時に、遊び人の六蔵が手伝っ薬殺を見抜き、お富を売った金の半分を寄越せと迫る。 お富は、金貸しの隠居・儀徳に身請けされるが、この男は盗人で、捕まって牢死する。お富は桶川に戻り、色仕掛けで六蔵から話を聞いて、義父の仇のお兼を殺す。そのまま姉のおせんの所へ行って、二人で茶店女になるが、奉公先だった今村丹下に見初められ、正妻を持たぬという約束で妾となる。 次女のおみわと再会し、三人が茶店の主人・太兵衛の養女という形になる。儀徳の残した金で川施餓鬼を催す。ここでお富が川に落ちて施餓鬼は中止、どうしたことか、死骸は樽に入っているのが見付かる。今村丹下が殿様の命令で妻をめとることになり、恨んだおみわは自害する。死骸を味噌桶に入れて庭に埋め、下男が身代わりとして捕縛されるが、婚礼の席におみわの幽霊が出て祝言は中止され、下男の裁きの場で真実を告白すると、確かに自害と分かって、養父に金を出すことになる。 残ったおせんの婚姻が決まると、養父の太兵衛が嫉妬に狂うようになり、おせんは婚約者の元へ逃げるが、追って来た太兵衛が暴れ込み、逃げようとしたおせんは糠味噌桶に落ちて追い付かれ、太兵衛が喉笛に噛みついて殺す。太兵衛は満足して隅田川に身を投げる。【成立】 明治22(1889)年の春錦亭柳桜(1)の速記本が国会図書館にある。全10回。【蘊蓄】 笠森お仙は谷中笠森稲荷の茶屋「鍵屋」にいた評判の美女(1751~1827)。手毬唄「向こう横丁の」に、「向こう横丁のお稲荷さんへ 一銭あげて ざっと拝んで 汚染の茶屋へ 腰をかけたら渋茶を出した 渋茶よこよこ 横目で見たらば 米の団子か 土の団子か お団子団子 この団子を 犬にやろうか 猫にやろうか とうとう とんびにさらわれた」と歌われた。幕府の侍と結婚して子宝にも恵まれたというのが本当だが、結婚が決まると嫉妬に来るってお仙を殺すという芝居が評判となった。結婚を宣伝しないから、お仙が見えなくなって色々な憶測が飛んだらしい。実際には実の親子であったという。福泉院は現在は存在せず、功徳林寺の脇に笠森稲荷咤枳尼天があるので、ここが舞台だったとするのが正解であろう。笠森稲荷は狭いので、芝居では千駄木に近い大圓寺に舞台を移し、ここに碑も立っている。安永年間には結婚したが夫が亡くなったという噂が立ち、安永8(1779)年の『金財布』には、墓参したお仙が墓参して「何もかも寺へ納めました。これから私はどうすればいいでしょう」と言うと、和尚が墓の後ろに回って、「お前も寺へ納めろ」という「墓参り」という小噺が載っている(「後家と坊主」というタイトルで収録しているので参考に)。