64:重ね扇(かさねおうぎ)
【粗筋】 明治19年の暮れ、東京駅から大阪行きの最終列車に乗り込むのが尾上菊之助、残った尾上松助、「わしは大阪生まれの大阪育ち。それが東京でやっていけるようになった。それに対して、東京生まれ東京育ちの若旦那が大坂行くことになるとは……」ホームの陰で見送っていたのがお徳。菊之助は菊五郎の養子となったが、その後子供が生まれ、この子が菊五郎(6)となるのだが、乳母として呼ばれたのがお徳。夫に死に別れ、生まれたばかりの子も死んだので乳母に雇われるが、このお徳と菊之助が深い仲になったのが分かって別れさせられたのである。 菊之助は松助の世話で尾上民蔵の世話になるが、さっそく春の芝居で大役を頼まれる。松幸と名乗るが、いきなり現れた役者が大役と、評判になるが、初日の評判は最悪。その後努力するが、棒鱈、大根と罵られる。東京では親方の七光りに過ぎなかったと自覚する。雪の中ふらふらと歩き回ると、神社で見つけたお百度を踏んでいる女がいる。お徳だ。その後中村芝翫の芝居に呼ばれて大成功。東京に帰ることになった。お徳も連れて帰るというが、お徳は断る。東京へ戻って3年、人気も出て本当にいい役者になって、菊五郎と親子共演で大阪へ来ることになった。お徳は苦労の末倒れてしまった。船乗り込みを見たいと言う。東京から来ると、船を連ねて顔見世になるのだ。道頓堀を人が埋め尽くす。相生橋で拝むように見ているお徳。家に帰った途端に容態悪化、医者を呼んで来るが、知らせる所があったら知らせるようにと言われる。知らせを受けた菊之助、芝居を終えて駆け付ける。【成立】 笑福亭松鶴(6)が演じたのを聞いた。お徳を見付けた場面など、感動的な部分なのに、松鶴の使う東京言葉がおかしくて爆笑の連続になる。