腐っても鯛・・・安普請でもJBC
競馬情報ウェブサイトサラブnetの「専門記者の競馬コラム」は毎回文章が長いことでも有名だが、今週14日付けの記事「JBCはどこへ行くか」は既にあちらこちらで話題になっている。書いているのは言わずと知れた地方競馬速攻廃止派の論客=野元賢一記者(日本経済新聞)。相変わらずの過激な文体で、今年の名古屋JBCも来年の川崎JBCも、思いっきり殴りつけて蹴飛ばして踏み潰して完膚なきまでに斬り捨ててくれている。その内容は上記リンクから読んでいただくとして、そして、抱く感想はそれぞれの立場や競馬(特に地方競馬)とのかかわり方によってさまざまだろうと思うけれど、個人的にはひとつの素朴な疑問にとりつかれた。『なぜに、地方競馬主催者を、地方競馬の祭典レースたるJBCを、あそこまで口を荒らして叩きのめさなければならないのか。』挙げているひとつひとつの事柄はたぶん事実なのだろうが、それとは別に「JBCの理念は空文化した」「この程度の判断すらできない」「あきれてしまう」「天災や事故がなかったのは幸運に過ぎない」「お粗末の一語」「見苦しい」といった表現はすべて氏が何らかの意図(普通には「悪意」だろう)をもって選んだ言葉だ。現実問題として、JBCを毎年同距離で施行することができないことも、来年だけ(来年から?)同一日にGI2競走を施行できないことも、(今年の)JBC当日に大井&園田で別の競馬が開催されたことも、レース名の前に「フサイチネット」をとりあえず冠したことも、名古屋競馬場のトイレをJRAに(正確には「競馬振興事業資金」を利用して)改修してもらったことも、当日の名古屋競馬場が過剰に混雑したことも、旧式のマークカードが使いづらいことも、いや、氏の言うところの「安普請OK」それ自体が、大胆に言ってしまえばぜ~んぶしかたがないことなのだ。現状(カネ・チカラ)ではほかにやり方がない(まぁだいたいネ)。世の中には「背に腹はかえられない」という事態も存在する。「ない袖は振れない」でもいいけれど…。氏の論はそこから、「だからJBCなんかやめちゃえ」、「だから地方競馬はただちにつぶせ」(←論調として)と進む。あれだけ悪意ある表現を多用すればいやでもその意図はよく伝わってくるが、地方競馬存続のために悪いアタマをひねったりねじったりしている人間としては当然全く同意できない。むしろ、氏に望みたい。現在の状況に問題点がたくさん存在することはよくわかるが、「だからやめちまえ」と叫ぶ代わりに「だからここを改善せよ」と、いや、氏ほどの有能な記者なら「だからここをこのように変えればうまくいくのだよ♪」と提案してほしい。また、氏は折にふれて地方競馬とJRAの関係を「ビジネスパートナーとは程遠い一方的な依存」であると痛烈に批判するが、今さらその言葉を否定する人はいない。そんなことはわかりきっているのだから、ここでもそれを指摘することではなく、それを解決する案を例示する仕事を氏に期待したい。それが競馬専門記者の職務から逸脱しているとは思えない。今は「一方的依存」を現状として認めた上で、そこからスタートして将来の「共存」へ向かう方策を考える時だ。例えば、現在論議されている地方競馬全国協会(NAR)等の組織改革もまさにその方向性を探る動きのひとつだろう。それとも・・・氏がこれほどまで特定の方向へ突き進むのは、所属する日本経済新聞社が社是として「地方競馬の早期廃止」か何かを掲げているということなのだろうか。もともと、野元賢一記者といえば他のレース予想中心の「競馬評論家」とは異なったスタンスで競馬を語る独自の位置に立つ競馬批評家で、氏の文章を「週刊競馬ブック」などで読むことはひとつの楽しみだった。専門記者ならではの豊富な知識と取材の成果を積み重ねて論理的に歯切れ良く批評を展開するのが本来の氏の魅力であった。ところが、ハルウララ騒動以降はそれに覆いかぶさるような感情の発露が目立つようになり、地方競馬に対する強い嫌悪感がケンカ腰の論調に現れる読後感の暗い文章が増えてきている。とまぁそんな気がするのだが、これはあくまでも自分が目にする範囲での個人的な感想・・・なにしろ、氏の名著「競馬よ! 夢とロマンを取り戻せ」さえ未読だし。第5回JBC@名古屋は成功だったの?失敗だったの?・「地方競馬に行こう!」の「JBC現地レポート(by landsliderさん)・「NO GUTS,NO GLORY.」のJBCのあり方に関する記事「JBC 大いなる夢の行方」(by NO GUTS,NO GLORY.さん)・「馬券日記 オケラセラ」の名古屋JBC総括記事「拓かれた企業協賛の道」(by ガトーさん)