未来の私は知っている
本日も声を裏返らせつつがんばりましたぞぉぉ。ある限界を超えると、このハイテンションっぷりが妙におかしくなってくるのです。Jクン♪には「をいをいをい!」と突っ込まれるし。うさぎには「上澄みの腐ったの」と形容されるし。…ワシ…orzほんまに店長かぁ?…orz最近お気に入りのいろはすのペットボトルを、バックヤードでバリバリバリ!と圧縮したら、この二人をギョっとさせたようで。「何なんですか!どうしたんですかっっ!」と飛び込んできました(笑)(^^ゞいや…ゴミ圧縮のために…潰してただけで…あの…その…その水を飲んだときに、水が喉に詰まって溺れそうになった。といったら「フツー、気管に入ってムセても溺れないっすよ!」と爆笑された。だって水中で水飲んでングング!ってなるのと一緒だったんだもん…。で、今日は彼さんと待ち合わせをしてご飯にいったのだけど。昔話でちくりちくりいじめたりしていたのだけど、その帰り道、なんだかデジャブなような、既視感のような(それ一緒)、あぁこうなるべくしてなってるなぁという感じを受け取った。まだただの知り合いだった頃、なぜかこうなる予感めいたものがあったのでした。私の中では「いずれそうなるなぁ…」とうっすら知っていたような。それが、あぁなるほど…と今日妙に納得したわけで。だって最近、時間軸が前に行ったり後ろに行ったりする感覚があって、そうか前もって私、実際にこうやって一緒にご飯食べたりしてる姿を知っていたんだ…と思い至ったのでした。だから確信めいたものがあったんだなぁ。そうだわ。過去の私に知る術のない結果を、現在の私は知っている。そして現在の私が知る術のない結果を、未来の私は知っている。そして時間軸が重なりつつある今、未来の私の気持ちや知識が現在の私にリンクされ、既視感となるのだね。それが頻繁に起こり、あたかも予知したような気持ちになるんだね。でも、未来の私は今の私と繋がっているから、予知ではなく「知っていたこと」で、そこに到達したときに、あぁやっぱり…という気持ちを抱くことになるのだ。してみれば、ハイヤーさんも未来の自分であるなら、結果を知っている。その結果は多重で存在するから、どの結果を選ぶの?となるわけだ。この方法を選ぶとこの結果、この方向に行くとこの結果、というのを全部未来の私は知ってるわけだ。で、まぁ、未来の私にも意志があるから、これ選んだほうがいいんじゃない?みたいな推薦バージョンがあったりして、「どぉしよ?」って今の私が聞けば、「どれでもいいけど、こんなのは?」なんてさりげなくアドバイスしてくれたりするわけだ。で、その数ある選択肢の中から、現在の私がピックアップしていく、という方式だね。でもある程度の人生のあらすじを決めてるはずだから、どの道だいたい同じ場所に行きつくように設定されているはず。右回りで行くか左回りでいくか、上からいくか下から行くかの違いくらいだろう。ならば。ぜぇぇぇんぜん大丈夫じゃん。どの道を選んでも、まったくもって大丈夫じゃん(笑)不安になる要素なんて、これっぽっちもない、ってことだ。仕事をしてようがしてなかろうが、家族が居ようが居なかろうが、大阪に居ようが孤島に居ようが、道を踏み外してようが王道を歩もうが、すべて行き着く先は一緒。不安になるのは、外に基準を求めていたときだけ。内に基準を定めたから、外界に惑わされることもなく、安心しきって存在していられる。だって、未来の私は現在の私がこの先どうなるかを知ってるんだから。その未来の私が現在の私をサポートしてくれてるんだから。これほど心強いものはない!その未来の私と現在の私、そして過去の私が一体化しつつある。現在に集約されつつある。なんて幸せなことなんだろうね♪過去の傷だと思っているものを癒し、未来の未知なる出来事を既に体感できるのだもの。そんなことに思いを馳せた、夜の散歩道(いや帰宅道)でした♪