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2019年04月08日
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桃太郎 昔ばなし もうひとつの読み方

 

駒田信二氏著

 

 桃太郎はどこから生れてきたか。桃の木からではなく、桃の実からである。

なぜ桃の実なのか。私には、ただちに『詩経』周南の「桃夭」という詩が思い浮かんでくる。

(中略)

 六朝の晋の干宝(かんぽう)の『捜神記』に次のような話があって、それを示している。。

 

会稽(かいけい)郡(浙江省)鄮(ぼう)県の東の村に、呉望子(ごぼうし)という娘がいた。年は十六で、なかなか愛らしい女であった。同じ村に、太鼓をたたき舞いを舞って神おろしをする人がいた。あるとき、望子は招かれてその人の家へ出かけていった。望子が川の堤防ぞいに歩いていくと、川の中に一般の舟があらわれた。舟には身分の高そうな、人品いやしからぬ人が乗っていた。その人は従者に命じて望子にたずねさせた。

 「どこへいくのか」

 「川下の、神おろしをする人のところへ招かれていくところです」

 「わたしもそこへいくところだ。この舟に乗っていっしょにいこう」

 

望子がことわると、突然舟も人も見えなくなってしまった。やがて望子が神おろしをする人の家に着き、祭壇に拝礼して顔を上げると、そこに、さきほど舟に乗っていた人がいかめしく坐っているではないか。それは蒋侯の神像だったのである。

蒋侯は望子に向かって、

「遅かったではないか」

 といい、蜜柑を二つ投げてよこした。

 それからというもの、望子の家には蒋侯がしばしば姿をあらわし、二人はこまやかな愛情を結んだ。以来、望子が心の中で何か欲しいと思うと、必ずそれが空から降ってきた。また望子のからだからはえもいわれぬ芳香がただよい、数里さきまでもそれが香った。その上、望子には予言の能力がそなわったので、人々はみな望子をあがめ尊んだ。ところが、三年たったとき、望子がふと他の男に心を動かしたところ、蒋侯はそれきりあらわれなくなってしまった。

 蜜柑を二つ投げたということは、さきに記した風習の転化で、一つは「有蔶たる実」、一つは「玉」であろう。それを相手に投げることが愛情の表現であり、求愛の方法だということにはかわりはない。

 桃太郎はなぜ、鬼ケ島へ鬼征伐にいったのであろうか。桃は鬼に勝つからである。勝つからいったのであって、負けにいくのでは話にならない。『本草綱目』にも、桃の実は「鬼を殺す」と記されている。

 『述異記』には、中国の東南に桃都山という山があって、その山頂には桃都という大樹があり、その枝は三千里にわたって伸びひろがっている。本の上には天翔という鳥がいて、太陽が出てこの本を照らすと天鶏が鳴き、「天下の翔みなこれに随って鳴く」と記されている。

『荊楚歳時記』にも同じことが記されていて、そのあとに、この大桃樹の下には、欝という名の神と、塁という名の神がいて、ともに葦の索(なわ)を持っており、「以て不祥の鬼を伺い、得れば則ちこれを殺す」と記されている。

 『論衡』の巻二十二には、『山海経』を引いて、度朔山(他書の挑都山に同じ)に、その枝が三千里にわたって仲びひろがっている大桃木があり、枝の東北の間は鬼門といって鬼の出入りするところである。そこに神荼という名の神と、欝塁という名の神がいて、鬼どもの出入りを取締まり、もし悪害の鬼がおれば、葦の索で捕えて虎に食わせてしまうという。そこで人間世界では、大桃人という桃の木で作った人形を門に立てて魔除けにしたり、神荼・欝塁の二神の像と虎とを描いた絵を戸口に貼りつけ、葦の索を懸けて、悪鬼を禦ぐという風習がおこなわれるようになった、と記されている。

鬼が桃の木をおそれる、あるいは、桃の実は鬼を殺す、という俗信のもとが、ここに見られる。ただし、中国でいう「鬼」は、亡霊とか亡魂とかの意であって、わが国の「おに」とはちがう。

 『古事記』に(『日本書紀』の記述も大同小異だが)、大神を生んだためにその陰部を焼かれて死に、黄泉の国へ下った伊邪那美の命のところへ逢いにいった伊邪那岐の命が、妻の正体(腐爛した死体)を見ておどろきおそれ、黄泉の国から追げ出すとき、伊邪那美の命は夫の無情を怒って黄泉の軍に夫を追跡させるが、伊邪那岐の命は、黄泉平坂の麓で、桃の木から桃の実を三つ取って黄泉の軍を撃退するという話がある。

 その黄泉の軍の鬼たちは、まだ、「おに」ではなくて「亡魂」であろう。その亡霊・亡魂の意の「鬼」が、わが国ではやがて「おに」に転化してしまうのである。

 「鬼(き)」が「おに」になってしまえば、鬼を禦ぎ鬼にうち勝つ能力のあるのは桃の木あるいは挑の実であるから、桃の実から生れた、その名も桃太郎という、心やさしく力の強い男が、鬼ケ島へ「おに」退治にいって見事に「おに」どもにうち勝つのは、当然である。

 古代中国の桃人形が生命を得て動きだしたのが、桃太郎なのである。

 女の女たる象徴である「有蔶たるその実」、女と男とを結びつける実から、一転して、桃が鬼に勝つという話に移っていくところが、私にはたいへん興味ぶかい。鬼ケ島の鬼の中には「有蔶たるその実」を待った美女の鬼はいなかったのだろうか。






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最終更新日  2021年04月26日 18時21分58秒
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