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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2019年04月17日
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日本昔ばなし 猿の尾はなぜ短い 他

 

柳田国男全集 大正元年版 一部加筆

 

昔の昔の大昔、猿の尻尾は三十三尋あったそうです。それが熊のためにだまれて、あのような短い尻尾になってしまいました。 

或時猿は熊のうちへ訪ねて行って、どうすればたくさんの川の魚を、とることが出来るだるうかと相談しました。そうすると熊が言うには、今晩のような寒い晩に、どこか深い淵の上の岩に坐って、その尻尾を水の中へ漬けて置いてごらん。きっと色々な雑魚が来てくっつくからとおしえてくれました。

猿は大喜びで敦へてもらった通りにして待っていますと、夜が更けて行くうちに、段々と尻尾が重くなりました。それは氷が張って来たのでしたが、お猿は雑魚が来てくっついたのだと思っていました。もこれくらい取れたら十分だ。あんまり冷たいからかえりましょうと思って、尻尾を引き上げようとしたけれどもなんとしても抜けません。これは大変だと大騒ぎをして、無理に引張ったところが、その尻尾が根元からぷっつりと切れました。猿の顔の真っ赤なのも、その時あまりに力をこめて引張ったためだと言っている人があります。(出雲)

 海月骨無し

  

柳田国男全集 大正元年版 一部加筆

 大昔、龍宮の王様のお妃がお産の前になって、猿の肝が食べて見たいという、珍らしい食好みをなされました。

龍王はどうかしてその望みをかなえて遣りたいものと、家来の亀を呼んで、何かよい考えはあるまいかと尋ねられました。

亀は知恵のある者で、早速目本の島へ渡って来て、ある海岸の山に遊んでいる猿を見っけました。

猿さん、猿さん、龍宮へお客に行く気はないか、大きな山もあり御馳走はなんでもある。

行くならば僕が乗せて行ってあげると言って、大きな背なかを出して見せました。

猿はうっかりとこの亀の口車にのって、嬉しがって龍宮見物に出かけました。

なるほどかねて聞いていたよりも美しいお星敷でありました。

中の御門の口に立って、亀の案内してくれるのを待っていますと、門番の海月が猿の顔を見て笑いました。

猿さんはなんにも知らないな。龍王様の御妃がお産の前で猿の肝が食べたいとおっしゃるのだ。

それで君がお客に呼ばれて来ることになったのにといいました。

こいつは大変だと思いましたけれども、猿にも智恵があるので何食わぬ顔をしていますと、

やがて魁が出て来て、さあこちらへと言いました。

 猿さん僕は飛んでもないことをした。こんなお天気模様なら持って来るのだったが、

うちの山の樹に肝を引掛けて、乾して置いて忘れて来た。

雨が降り出したら濡れるだろうと思って心配だと言いました。

なんだ、君は肝を置いて出て来たのか、それじゃ、もう一度取りに行くより他はあるまいと、

再び亀の背中に載せて、元の海岸まで戻ってまいりました。

そうすると猿は大急ぎで上陸して、一番高い樹の頂上に登って、知らん顔をして方々を見ています。

亀がびっくりして「猿君どうした」というと、海中に山無し、身を離れて肝無し、と言って笑いました。

是は龍宮で門口に待っているうちに、あのおしゃべりの海月がしゃべったに相違ないと、

亀は帰って来て龍王に訴えますと、けしからぬ奴といふことで、皮は剥がれる。骨は皆技かれる。

とうとう今の海月の姿になってしまったのは、全くこのおしゃべりの罰だといふことであります。

雀と啄木鳥 

 むかしのむかし、雀(すずめ)と啄木鳥(きつつき)とは二人の姉妹であったそうです。

親が病気でもういけないという知らせの来た時に、

雀はちやうどお歯黒をつけかけていましたが、

すぐに飛んで行って看病をしました。

それで今で頬っぺたが汚れ、嘴(くちばし)も上の半分だけはまだ白いのであります。

啄木鳥の方は紅をつけ白粉をつけ、

ゆっくりおめかしをしてから出かけたので、

終に大事な親の死に目に逢うことが出来ませんでした。

だから雀は、姿は美しくないけれども、いつも人間の住む所に住んで、

人間の食べる穀物を、入用なだけ食べることが出来るのに、

啄木鳥は御化粧ばかり綺麗でも、朝は早くから森の中を駆けあるいて、

「がつか・むつか」と木の皮をたたいて、

一目にやっと三匹の畠しか食べることが出来ないのだそうです。

そうして夜になると樹の空洞に入って、

「おわえ、嘴(くちびる)が病めるでや」と泣くのだそうです。(津軽)

鳩(はと)の孝行

 昔の昔、筒はほんとにねぢけ者で、ちっとも親の言ふことを聴かぬ子であったさうです。親が山へ行けといへば田へ行き、田へ行けといへば畠へ出て働いてゐました。親が死ぬ時に静かな山に葬って貰ひたかったけれども、さう言ふと叉反対の事をするだらうと思ってわざと川原へ埋めてくれと頼んで死にました。

 ところが鳩は親が死んでから、始めて親の言ふことを聡かぬのは悪かったと心付きました。ごうして、今度はその言ひつけの通りに、川原へ行って親の墓をこしらへたのださうであります。然し川のふちでは、水が出るたびに墓が流れさうで気がかりでたまりません。それ故に今でも雨が降りさうになると、この事を考へ出して悲しくなって、「ととっぽっぽ」、親が懸しいといって鳴くのださうであります。もう少し早くから、親のいふことを賄いてをればよかったのであります。(能登)

時鳥の兄弟

 むかしむかし、時鳥には大へん親切な善い弟があったのださうです。毎年五月になると山に行って深山の山の薯(いも)を掘って来て、煮て一番おいしいところを兄さんに食べさせました。それを兄の方ではまだ疑って、弟がもっと旨い山の薯を、自分では食べてゐるのだらうと思って、しまひには僣んで庖丁を持って来て、その優しい弟を殺したのださうです。さうして弟の腹を裂いて見ると、中からあわたといふ筋ばかり多い薯が出て来ました。これは悪い事をしてしまったと、後悔して悲しんでゐるうちに、たうとうこの鳥になってしまったのださうです。だから今でも山の薯を据る時節になると鳴いて方々を飛びまはります。よく豹いているとあの声は、

   

   おとと懸し

   掘って煮て食はそ

   弟こひし

   薯ほって食はそ

 と言って啼くのださうであります。(越中)






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最終更新日  2021年04月25日 11時29分05秒
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