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2019年05月05日
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カテゴリ:泉昌彦氏の部屋

富士五湖をめぐる 大噴火と悪法師

 

泉昌彦氏「伝説と怪談」シリーズ(泉昌彦先生著、一部加筆)


女護ケ島となった湖畔の村

 山中湖から道志~三ケ木~相模湖~橋本方面へむかう自動車道の途中から左へ御正体山(1682m)のハイクコースがわかれる所に「山伏峠」と記した地点がある。

 御正体山は読んで字のとおり、平安時代におこった本地垂迹説による仏、神像、名号などを、かわら、木金属へうかしぼりにした掛仏()という意味だ。富士山より古くから山伏法印の修験道場としてひらけた山で、いまでは.ハイキングの山として名高い。
 江戸時代に「妙心」という上人が、木食行三年ののちにミィラとなって昇天(入定という意)した御正体山は、妙心の参籠していたころ、麓から山頂まで灯りをつけて、上人を拝みにいく信者の火で埋まったといわれる。このように尊崇をうけた山伏行者もあったが、おおくの山伏たちは押し売、無頼漢にひとしいものばかりであった。

「あいや、この村には男衆の顔が一人もみえぬが、これはいかがしたことじゃの~」

 宝永の大噴火で稼ぎ手の夫を奪われ、若い身で後家になった「みよ」という女が、火山灰にうまった桑畠の灰をせっせと、かたつけているところへ、一人のたくましい山伏が通りかかって声をかけた。前記山中湖に近い山伏峠を、富士山や御正体山にかけてしきりに往来していたころの修験者だ。身にはもっともらしく白衣に狩衣をつけ、笈を背負い、頭にずきん、足元はすねあて、わらぐつ、片手にイラタカの数珠、一方に金剛杖と、どこからみてもプロの修験者にみえた。だがこやつひと皮むけば、当時悪業のかぎりをつくして民衆をまどわせ苦しめていたインチキ祈濤師だった。
 美しい女に目をつけると、「犬神」「管狐」を憑けて、からだを自由にし、金品をむさぼるという手口をつかった。狐つきなどというものは、そうなっては困るといった恐怖心の強い迷信が、かえってそうなっては困るという狐のまねをする狐つきになってしまうもので、当時の修験者などはわけもなくできた催眠術で、みよはインチキ祈祷師とは知らず、山伏の問いに、

「去年お山がたいそうお怒りになって、おらは夫をうしなうてしもうた。村の男衆も焼畑をすてて出稼ぎに出払ってしもうたわい。それにこのごろは夏の日照りがつづき、何一つ作物が芽をふかんのじゃ」

 と正直のことを一言って嘆いてみせた。

「雨が降らぬとはお困りじゃろう。お山におわす竜紳さまをおろそかにした天罰じゃ。おのぞみなら雨乞いをして進ぜるがいかがじゃの」

「そらほんとかいな、よう世間では竜神さまをおまつり申すと雨が降ると聞いとるが、この村では法印さまにたんとお布施が出せまいからのう」

「なんのなんの、それがしの御祈礒は鳥目が目当ではござらん。すべては世のため人のためにすることじゃ」

「へっ、へっ、それはまことかのう法印さま、ありがたいことじゃ.さっそく村の衆に話して雨乞いのしたくなどをととのえるけん、どうすればよいのう」

一角仙人と美女のグループ一サウンズ

 ここで少し、昔からある雨乞いについてしるしておこう。昔から雨を降らすのは竜神さまのしごとと相場がきまっている。 

日本中の地図をひろげてみると、あるは、あるは、雨乞い山、雨乞い池といったものが、一村にすくなくも二つや三つはある。いかに昔は雨乞いの析願がさかんだったかわかろう。雨乞いにかぎり、いまも農民は昔どおりの流儀で行事を行なっている。信州のタテシナ湖へいく途中の二子池に例をとると、日照りがつづいて雨をよぶときは、村中の者がこの池の端へ集まって、石を投げこむ。竜神さまは石をぶっつけられて怒り狂って大雨を降らせるという。

 いずれにしても祈願とは逆の変った手をつかっている。山梨県市川大門町の四尾連湖では、金の幟を立て、ドラ、太鼓をたたいて六キロほど賑々しく行列して、四尾連湖へゆき、牛馬家畜の骨を投じ、竜神をさんざん怒らせて豪雨を降らせる旧習がある。

 雨乞いは農民ばかりの行事ではない。八年前、東京都水源が日照りで干あがったときに、小河内ダムの関係町村では盛大な雨乞いの祈願をとりおこなった。すなわち東京都のえらい役人さまや町村長さまなどが集まって、神妙に神官頼んで雨乞いの祈願したことは事実だ。この竜神さまは中国から渡ってきたもので、今昔物語という八○○年も前の巻五にでてくる。

 一角仙人が天竺の山道でぬかるみに足をとられたのを怒り、これは雨を降らす竜王のせいだといわんばかりに、竜王を法力でぜんぶ小びんのなかへ閉じこめてしまった。そこでまったく雨の降らぬことになってしまった。物わかりのよい大臣が一計を案じ、「いかに聖者といえども、古来美女のお色気に心迷わぬものはあるまい」。これはそのとおりだ。清僧ぶった坊圭やお上人さまも、お色気タップリ美女が膝を崩してもたれかかればイチコロ、ニコロである。八○○年昔の作者はよくこの辺のところをうまくついている。

 さて十六の大国からえりすぐった美女をえらんで五〇〇人、これにそれぞれこった美しい衣を着せて、五〇〇の車にのせて山へゆき、一角仙人のあらわれそうな岩窟、木の下などに十人、二十人を一グループに分けて待機させ、美しい声で歌をうたわせたのである。
 この美声に、ひたいに角を一本生やし、ミィラのごとくやせた白竹スタイルの一角がフラフラとあらわれでた。

「いや、これは、これは、わしはこの山に一〇〇〇年も住んどるがいまだこのように美しい歌をば聞いたるためしがない」

 と、はやくもしゃばっ気を出して美女たちの前ヘノコノコでてきた。得たりかしこしと美女たちは口をそろえ、

「わらわたちは五〇〇の歌舞をよくする天竺のケカラ女の一党なり」。

 ケカラ女とはいまいうグループ・サウンズである。かくて「聖人さまに舞をひとさし、コーラスを一曲」とばかり、いともお色気あふれる美女たちが柳腰をふってフラダンス、いやはやこれには一〇〇〇年の修行をつんだ聖人たりとも目がチラチラ、男性自身も自覚をとりもどしてずんと天をついて突っぱったね。なんたって女には弱い男の本能がめざましく隆起してきたのである。

「うまくいったぞ、それにげろ」

 凡夫に立ちかえった聖人の術が破れて、びんにとじこめられていた竜王どもはいっせいに逃げ出すと、つもりつもったうらみをこめてピカピカゴロゴロ大豪雨を降らせた。目的を果たした美女たちが山を降るといいだすと、聖人はすっかりかなしそう。そこで不案内の山道をつれて女達を里へかえすことに相なったが、谷ふかくて女どもには渡れない。そこで一角仙人は、ツルのようにやせた背に、天竺サゥンズの美女どもをおんぶしてやり、錫杖を脂切ったるグラマーの尻にあててささえ、ときどきゆるりあげつつ王城に運んでやったところ、天竺の者どもは身の低きも高きも、「ありゃ、天竺のお聖人が女をおんぶしているわい」

とあざわらったという二席がある。





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最終更新日  2021年04月22日 04時45分39秒
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