カテゴリ:文学資料館
森 鴎外 『大塩平八郎』佐々木雅発氏著
『国文学 解釈と観賞』 第36巻 14号 至文堂 維新前夜の思想と文学
一部加筆 山梨県歴史文学館
大塩平八郎の陰謀に関する吉見九郎右衛門の訴状を読み終わったとき、大阪西町奉行堀伊賀守利堅は、吉見に対して瞬間「一種侮蔑の念」を起こす。 「形式に絡まれた役人生涯に慣れてはゐても、成立してゐる秩序を維持するために、賞讃すべきものにしてある返忠を、真の忠誠だと看ることは、生れ附いた人間の感情が許さな」かつたのである。もつとも堀は、ただちにこの「生れ附いた人間の感情」を塗抹してしまうのだが、しかし彼の胸に我知らず湧くこの一瞬の「感情」に、いまいささかこだわつてみたい。 堀にしても、また東町奉行跡部山城守良弼にしても、一般には保身をむねとする卑俗な官僚的人物として、形象されていると指摘できようが、そうであるとしてもこの箇所から、こうした人物の中にも、「生れ附いた人間の感情」がひそかに流れ続けていることを無視していない萌外を、指摘 することもできるとおもう。 ところで、秩序の下僕である堀にとっては、「生れ附いた人間の感情」はまさしく危険なものであった。だが、およそ秩序の下に生きるものにとって、こうした「感情」で安全なものはあるまい。生活とはおおむねこうした「感情」を馴致し、ともかくも保たれる日常の時間の中に成立するものといえよう。 「生れ附いた人間の感情」をおし殺し、秩序に従って生きる人間を、卑屈だとか怯儒だとかいうのはやさしい。たしかにそうした生き方は、身を惜しんでいるにすぎないといえるかもしれない。しかし、はたして人間はそうした「感情」に殉じきれるのだろうか。そうした「感情」に殉じていった人間はいるとしても、それはあまりにもむずかしいことではないだろうか。おおかたの人間は自分の内部に「秩序」と「生れ附いた人間の感情」の対立を抱え、それに耐えているのである。 さて、大塩平八郎の「生れ附いた人間の感情」にとって、連年の飢饉と賎民の困窮は目を塞いで通ることのできないものであった。 彼らへの同情とその救性への祈念は、平八郎の「生れ附いた人間の感情」であると同時に、その学問によって深められ、峻烈な「志」と化していたのである。 そして、その「志」をほしいままに爆発させた平八郎の姿は、堀や跡部とはまさに対極的な姿として形象されるべきものであったろう。 だが多くの人々の評言にもあるように、鴎外の『大塩平八郎』という作品からは、そうした平八郎の姿は彷彿としてこない。激情に駆られ、金頭を頭からメリメリと咬んで食べた平八郎の相貌は、それとして印象づけられないのである。無道の役人を洙し金持ちの町人をこらすために謀叛を起こしたものの、鴎外が描く平八郎の心は、終始「枯寂の空」に とざされている。
けふまでの事柄の捗って来たのは、事柄其物が自然に捗って来たのだと云って好い。己が陰 謀を推して進めたのではなくて、陰謀が己を拉して走ったのだと云っても好い。一体此終局 はどうなり行くだらう。平八郎はかう思ひ続けた。
いわば作品の中心に、こうした平八郎の想念が点綴される。 「心に逡巡する怯もないが、又踊躍する競もない」 平八郎の横顔。それは「志」に殉ずるもののいちずなそれというよりも、むしろ「志」を持続することに疲れたものの横顔である。 稲垣達郎氏が「『大塩平八郎』雑記」(『解釈と鑑賞』昭34・8)の中で指摘しているように、鴎外は平八郎を「非親和性」において深く関心してきたのであった。学問の道は「体」の追求であると同時に「用」として現わさなければならず、その為に敢為強行、あえて「秩序」を破壊することも辞さない大塩平八郎の学風を、鴎外は好まなかった相違ない。そして平八郎に対する鷗外の比定的な関心には、おそらく、いわゆる大逆事件以来の社会主義運動「冬の時代」の影がおちていたといえよう。 しかしだからと言って鴎外は、平八郎を憎悪しているわけではない少なくとも自ら描く平八郎の横顔を、鴎外は愛していたに違いない。繰り返すまでもなくそれは、「志」の貫徹を目指すむきな姿ではなく、その仇を嘆く労しい姿であったのである。 「意地」に固執して殆どの傍若無人に振る舞って自滅していった「阿部一族」の面々を鴎外は書いた。一族をとらえたものを「志」ということはできないかもしれないが、彼等のやむにやまれぬ至情であったことに間違いない。そうしたやむにやまれぬ至情に殉じていった人間の姿に、鴎外は人間の「生きる相」をみたのでなかろうか。いわばそこに鴎外の「人間発見」があった。だが、だからといって彼自身がそのように生き得たわけではない。いや鴎外にとって至情に殉ずるということはあくまで憧憬であって、現実ではなかったのだ。 しかし、このことに鴎外は絶望しているわけではない。むしろ自己のその現実に積極的な意味を見いだすことに、鴎外の目はむけらし、そうすることによって歴史とラディカルにかかわってゆく人間の生き方が一方にある。だが、はたしてそういう生き方が、人間の生き方として絶対の優位を誇りえるのであろうか。おのれに身を借しませる当のものの重さをひたぶるに背負って生きてゆく人間の生き方も、もう一方にあるのだ。それは完結もせず、歴史とラディカルにかかわることも ないだろうが、そういう生き方こそが人間としての常の道であり、さらには人間として絶対の優位を誇りうるべき生き方なのかもしれない。あるいは鴎外の平八郎の心を埋めた「枯寂の空」とは、謀叛という極限の状況にいる人間をみまった、こうした懐疑であり、逆かいえば、こうした覚醒であったかもしれない。『安井夫人』の佐代のように、日々の精進の中に生き、現実の流れそのものとともに生きる人間の姿を、鴎外は黙って画きはじめたのである。いわば鴎外の筆は、極限に生きるもののもとを去り、ひたすら日常に生きるもののもとに移ったのである。
『堺事件』にしても『津下四郎左衛門』にしても、歴史の混乱期、「志」を貫くときにひき起こされた悲憤な犠牲を鴎外は書いた。しかしその背後にあって鴎外の筆は、しだいに『渋江抽斎』以下の史伝の世界を用意していたのである。そこに描かれたものは、歴史の変動とともに自然に推移する人間の群れであり、彼らの常民としての日々の営みである。しかもそのことを通して、かえって鴎外は、見事に人間の足跡に、歴史に推参しえたのである。 課題は「近代文学に描かれた明治維新『大塩平八郎』」ということであった。あるいは吉田松陰らに続く日本の陽明学の系譜に照準を当てるべきかもしれない。しかしそれは私の手にあまることであると同時に、そうした歴史をひとつひとつの理念でつなぐことから、ひとりひとりの人間の日々の営みによって綴る方向に、鴎外の歴史観そのものが推移していったように思われたわけである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年05月14日 13時46分38秒
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