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2021年05月14日
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カテゴリ:文学資料館

島崎藤村 『夜明け前』 水谷昭夫氏著

 

『国文学 解釈と観賞』 第36巻 14号 至文堂

   維新前夜の思想と文学

 

 一部加筆 山梨県歴史文学館

 

たとえば黒船の噂にしても「この街道に傅はる囃の多くは、諺にあるやうにころがる度に大きな塊になる雪達磨に似てゐる。

六月十日の晩に、彦根の早飛脚が残して置いて行った囃もそれで、十四日には黒船八十六もの信じがたいやうな大きな話になって傅は」(第一部第一章)っていく。

 「江戸から八十三里の余も隔たった木曾の山の中」(同)だと言うのである。藤村が『夜明け前』で設定した目と耳は、なによりもまずこの「八十三里余」の遠近に定められる。それは「京都と江戸をつなぐ木曾街道」なのだ。さらにまた、フランスから帰国直後に書かれた『海へ』の一節、「私は神戸から斂へて八千二百六三海里ほども乗ってまいりました。そこにはもう地中海がひらけて居リました。」に見られるように、藤村が定めた「恐ろしいまぼろし」の異国との距離にもなりうる。執拗なまでに彼はこの「距離」を徹底化する。この「距離」の苦しきと重さをになっていこうとす。

 そうすることによって、歴史的鳥瞰図やいわゆる必然性からではなく、生きた波紋の中に      揺れさざめき、身をゆだねて、あの時代とでき事の全てを捉えようとする。または、そのような不安のただ中でながめ入ること、『夜明け前』で藤村が固執する視点の肝心である。

 それはまた、『夜明け前』論でしばしば指摘されてきた主人公の階層とも重ねられよう。木曾十一宿の一つ、馬能の庄屋・本陣・問屋を兼ねる旧家の若主人、つまり、庄屋としては百姓にかかわり、本陣問屋としては武士と公卿に接する。人はこの図式的色分けを好んで試み、いかにもこの変革の時代を描くに恰好な視点のように思いこみがちであるが、一面それは「八十三里余」にも似て、

視点がその重苦しさに霧散する危険にもさらされているのだ。

文芸とは元来、常にかかる危険へのたたかいを秘めたものであろう。藤村が挑んだ試みのありどころである。

 『夜明け前』の規模の雄大さと重厚さがこのとき要請される。このこころみがすべて成功したとは言い難いが、たとえば資料の扱いの中に、この屈折と遠近が息づいている。

 「黒船八十六一艘」にしてもがそうである。ヒタヒタと木曾街道に接近し、「上納金」さし出しの問題をおこし、「黒船騒ぎ以来、諸大名の往来」は激しさを迦えることゝなり、「伊那あたりから入り込んで来る助郷の数もおびただしく、その弊害は覿面(てきめん)に飲酒賭博の流行にあらわれて来」る。庄屋としての吉左衛門がこの「黒船」とかかわるのは「上納金」の談合や、諸大名の応接や賭博厳禁の言い出しである。藤村は言う。

   維新前後を上の方から書いた物語はたくさんある。私はそれを下から見上げた。 

(「『夜明け前』成る」)

ここで「上の方」とは、明治政府の尊攘史観や、労農派、講座派とよばれる維新史の見方を含んだものであることは、注意されるべきであろう。イデオロギーの時代をイデオロギーで書くことの危うさを藤村は実感としていだいていたと言えよう。

「維新といふものが下級武士の力によって出来たものだと説く人もござゐますが」

(「『夜明け前』成る」)

と言う。それらの発想をまずさけて通る。そして「下の方」にすべてをそそぎこんでいく。言うまでもなく草叢の人々であり、「八十三里余」の距離におかれた「木曾路」であり、さらにそれは「八千二百六三海里」のわが国のあり方である。それは「すべて山の中である。」という。『夜明け前』はそのように書き出されて、明治維新を描き出していく。

  この小説に思想を見るといふよりも、

  僕は寧ろ気質を見ると言ひたい。






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最終更新日  2021年05月14日 15時16分33秒
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