カテゴリ:小林一茶の部屋
小林一茶 我春集(抄) 上総国百首(ももくび)の里は、東南に山が連なり、西北に海がひらけて、防人の備えにはもってこいの地だということで、このたび陣屋を造る縄張りということがあった。 その畑が瘤(こぶ)のようにさし出て、妨げになる小家があった。そのあるじらしい、明日をも知らぬ命といった老婆がひとり、麻糸を紡いでいたのを、奉行の人がひどく気の毒に思って、 おまえには子供があるか」 と言うと、老婆の言うのに、
男の子二人持っていましたが、 いついつの年、 故郷をよそに出ていってしまって、 今は江戸の本所とかいう所で、 髪結いの仕事をしているということを、 風の便りに聞いております。
とばかり、涙を流しながら答えた。
それならば、その男を呼び返しなさい。 よい替地に、住みよい家を与えよう、 そればかりでなく、 その男にはながく髪結職の許可書を与えて、 おまえには生涯二人扶持ということを請うて、 身を安楽に過させてあげよう。 麻糸をつむぐような心細い商いをやめて、 日の永い春の日には、 散りかう花を見て無常を悟り、 さむざむとした秋の夜には、 傾く月に西方極楽浄土を願い、 明け暮れ心のままに菩提の種をまいたら、 どれほど楽しいことであろう。 おまえのこの家この構えが邪魔になるのは、 天からおまえに幸いを下したもうたのであろう。 早くここを引き払い、あちらに移りなさい。
と奉行の人が言うと、老婆はむかむかと腹だたしいそぶりをして、灯心を束ねたような細く筋ばった首を打ちふりながら言うのに、 よくもおだましなさることです。 これは私が先祖から何代ともなく住みふるして、 大事な大事な住居ですから、 移るわけにはまいりません。 たとえ黄金を星に届くほどくださっても、 私の目には一杯の麦飯のほうが まさっていると思われます。 ただただこの粗末な小屋こそ、 比べようもない宝なのです。 たとえ命を断たれても、他の所へは行きません」
と、手足をすりあわせ、べそをかいて、泣きそうな顔で申し出ると、奉行の人の慈悲心もこうなっては施すべき方法もなくて、
婆さん、後悔するなよ。 と言って、ふたたび縄張りして、ついこその家を避けて地どりができた。 ああ、月日の照らす限り、露霜のおりる所に生きとし生けるものはすべて、だれが、国命をそむき奉ることができようか。強情な愚か者であることだ。
月さへもそしられ綺ふ夕涼み 一茶
月=奉行=までも、頑固な老婆のためにそしられなさるタ涼みだ)
そうはいうものの、育ちざかりの田畑をしごき捨てられて、悲しむのももっともである。 青桐や薙倒されて花の咲く 一茶
まだ実らない青稲が、なぎ倒されて花を咲かせている、 しぶといことだ。お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年10月23日 07時27分21秒
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