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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2021年11月18日
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カテゴリ:文学資料館

暦にまつわる俗信・ことわざ 遠野地方

天候・天災予知集

 

『歴史読本』臨時増刊号「万有こよみ百科」

   臨時増刊号 昭和49年刊 

    一部加筆 山梨県歴史文学館

 

 遠野の寅さんは、朝焼けの美しい空をながめながら、「雨具の用意はあるか」といった。よく晴れているのに、おかしなことをいう老人だ、私どもは顔を見合せて笑った。

「用意はあるのか」

 寅さんはふたたび問うた。「ない」というと大きな番傘を持ってきて、「持って行け」、といったと大きな番傘を出してきて、好意だけをうけて、立とうとすると、寅さんは、

 「夕焼けは晴、朝焼けに油断するな、ということわざがある」

 といった。

 「お達者で……」

 「持って行かないのか」

 「はあ、荷物になりますから」

 私どもは出立した。よく晴れていた。

 ああ暗い雲の海だ。

 <向うの黒いのはたしかに早池峯です。線になって浮きあがっているのは北上山地です>

 私たちは宮沢賢治の詩などを思い出しながら、遠野の町の民俗を訪ね歩いた。

鍋倉城跡についたころから雲行きがあやしくなり、ついに雨になった。やむなく樹の下にかけこんで雨宿りした。

「朝焼けに油断するな、か、寅さん、どんな顔してるかな」

 私どもは何ともバツがわるかった。

「俗信もまんざらでないな」

 友人がいった。

「古、虚諺なし、か」

 と、私。

「それにしては、寅さんの好意を無下に退けすぎたな」

 雨は一向に止もうとしない。いつまで城跡にいても仕方がないので、私たちは濡れねずみになるのを覚悟して、駅に向かった。さいわい、途中で傘に入れてくれた人がいたので、それほど濡れずにすんだ。

 まだるっこいのか、友人は傘を出て走ろうとすると、その親切な人は、

 「走ってはいけない」

 友人はきこえないのか、走り去った。

 「すみません」

 「いいや、雨降りに走ればいっそう雨が降るというんでね」

 

遠野の俗信は生きていた。俗信は長い間に培かわれた生活の知恵で、いわゆる迷信とはことなる。しかし、なかには迷信に近いものもあるのは否めない。が仔細に検討すればその相違はわかるはずである。

 

遠野の気候に関する俗信にはつぎのようなものがある。

   

暑さ寒さは彼岸まで

  蜻蛉多く飛び乱れると雨

  蛇が木にのぼると洪水

  蛙が鳴くと雨が降る

  二百十日の大風

  紐矧夜鳴くと晴

  魚が水の上の方にくると雨が降る

  蜻蛉を殺すと雨が降る

  月暈(ぼかす)星あれば雨

  入道雲は雷雨の兆し

  朝荒れは晴の兆し

  猫が足をなめると雨が降る

  猫が顔を上に向けて寝ると上天気になる

  猫が顔を洗うと天気になる

  朝鳥が鳴くと晴

 

 その他、いろいろとあるが、

「雨が降る時女が早く走ると益々強くなる」

「女が高い山に上ると雨が降る」

「夕方おそくまで大勢の子供達が騒ぐと翌日は雨が降る」

「下駄をけって裏にかえると雨、表が出れば晴」

「葱を火に入れると風が吹く」

「雨降花をとると雨が降る」

「口笛を吹くと風が吹く」

 

等々は理解に苦しむ。

 産業的なものには、

  彼岸前の接木

  ひでりにごま

  杉は沢に植えろ、松はやせ山に植えろ

  雪が沢山降ると、その年は豊年である

 

 などがあり、食事に関するものには、

 

 田螺(たにし)とうどは喰べぬもの

  梅干と鰻は喰べぬもの

  餅と柿は腹にあたる

  餅に大根おろしを添えろ

 

などというのがあった。

 

南をくいる家は繁昌せず

  東の方に井戸のある所は、目、頭に異常あり

  東にせきのある家も繁昌しない、

は、住に関するもの、

 

蛇にかじられた夢を見ると良い事がある。

毎日夢を見ると悪い事がある

 蛇と茄子の夢を一度に見ると金を見つける

 牛の夢を見るとよいことがある

 一富士 二鷹 三なすび

 は、夢に関するもので、こうなると迷信に近い。

ところで、迷信……。

「全く事実と一致しない信仰。すなわち迷い信ずることで、そのため、困り、恐ろしがる果の正しくない信仰。(略) 

迷信という言葉の意味は、文化の段階によって変化してきている。そ

れは、迷信が、文化のある段階において、その文化水準に照らして正当であり合理的であると承認せられる観念と一致しない信仰や慣習に名づけられるからである。したがって現代文化の標準からして、迷信と称せられるものは、現代文化の中心をなす科学的真理と一致しない旧来の信仰乃至社会的慣習を指すこととなる。(略)日本における迷信の実態を考察すると、文化中の遺風が、迷信として現在行われているものと、ほんとの迷信とは区別されなければならないし、運命に関する迷信、怪異に関する迷信、宗教的教義の迷信の正されなければならない多くを見うける」……『風俗辞典』より

 

天にのぼって雷電にうたれる

夢は大吉の前兆とか、

初夢に富士山を見るのは吉夢とか、

月日の落ちるのを見れば父母を失う、

雲が舞い降りれば病人がでる、

といった類のものは迷信に属するというのである。

 釜石に向かう列車の中から虹を見た。

 「川をまたいでいるな、とすればまた雨か」

友人がいった。

遠野のパンフレットに、

  虹が川をまたいで張れば雨となる

とあった。

 

◇ ついでながら遠野の呪(まじな)いには次のようなものがある。

 

弓矢で随分よく的にあたった矢を、枕元において寝ると子供の夜泣がなおる

 ◯くじ引の時隣の家へ行って知らぬ中に釜のふたを盗んで来るとよく当る、

殊にそれを隣で大騒ぎをして探しているようであると尚よい。

 ◯便所のかきんこを、ふところに入れてくじを引くとよく当る

◯虫歯がいたい時、便所に線香をあげて拝むとなおる

◯がま口に蛇のむけ殼を入れておくと金持になる

 ◯雷がなった時、屋根に鎌をおくと落ちない

 ◯うるしに負けた時、闇で石を三つ重ねて後を見ないで走ってくるとなおる

 ◯火事の時、赤い腰巻を家の前につるしておくと、火花がとんでこない

 

禁呪的迷信に属するものであろう。

 

もう一つ私たちの生活と密接なつながりがあるものに諺がある。

諺とは古来からのいいならわした言葉、あるいは世間にいい伝うる言葉のことである。つまり諺は由来や因縁から独立して存在する社会に共通な経験や知識の集約であり。結晶といえよう。

「中国の春秋時代から戦国時代は、ことわざの重要さが最も高く認められ、盛んに言説に取り入れられた時代であります。いわゆる諸子百家の言説は、ことわざを取り去っては存在しないといっても過言ではありません。表現ばかりではなく、その思想さえも、ことわざの哲学と呼んでも、当を失しないくらいであります。各国の宮廷を説いて回った、いわゆる遊説の士たちの弁舌は、たとえを引き、ことわざをもって、王や宰相の胸をえぐったのであります」

 

「ことわざは、狭い意味での格言ではありません。社会道徳から律すると、あまりに利己的でむしろ背徳でさえある内容のものをも含んでいます。しかし、これを今日の利己と同視するのは誤りであります。村落生活においてことわざを活用しなければならない機会は、一個人の主張を貢ぬくために相手に有効な一撃を与える場合ではなくて、自己の属する集団の利益を主張する場合でありました。したがって、利己とはいっても、最小単位の集団の共同利害には反しないものであったことに、疑いをいれません。それが当時の『社会』であったわけで、本来、社会性に基づかないことわざは存在しないのであります」

……『故事・ことわざ辞典』より

 

日本の現代の生活でも、諺はさかんにつかわれている。しかし、多くの人が共同に知っているものでないと、効果が弱いので、限られた範囲の諺が、くり返しつかわれる傾向が濃い。

これは諺の知識の衰退といえるかも知れない。しかし、諺はこれからも生きて行くことにかわりはない。

 

遠野の諺にも普遍的な、そして胸をえぐるようなものがあった。その幾つかをひろってみよう。

 

○家庭的なもの

  家相みるより家督みろ

  竹の子の親まさり

  嫁をもらわば親を見ろ

  ぢいさん子は三文安い

  金持は三代つづかない

  似たもの夫婦

○道徳的なもの

  人と稲穂はたれる程よい

  冗談にも程がある

  生れより育ち

  下手の長話

  弱い犬の遠吠え

  木に竹を接ぐ

  急がば廻れ

  着物着たままほころび縫うな

  足と足とで足を洗うな

  習うより慣れろ

○社会的なもの

  理屈と取手はつけよう

  見るはほう楽、話は末代

  牛は牛づれ

  遠くの親類より近くの他人

○個人的なもの

  強いばかりは能でない

  朝寝の夜光り

  蝉の節句かせぎ

  自分の悪いことを棚にあげる

  心配すると禿になる

○生活に関するもの

  木は割ってくべろ(燃せ)

  ごんけ(自慢)はくより庭を掃け

  火をいじるものは人をいじる

  下手の長みず(糸)

  味噌はすって喰べろ

 

等々である。意外であったのは、いわゆる遠野らしい諺がすくなかったことである。ということは全国的な普遍的な諺が多いということである。

「総領の甚六」

「家の坤べんけい」

「朱に交われば赤くなる」

「虻蜂とらず」

「旅は道づれ世は情」

「弘法も筆の誤り」

「おかめ八目」

「とんで火に入る夏の虫」

「人の噂も七十五目」

「馬鹿とはさみは使いよう」

「泣く子と地頭には勝たれない」

「年寄の冷水」

「うどの大木」

「うそも方便」

「知らぬが仏」

「弱り日にたたり目」

「貧乏暇なし」

「住めば都」

「三日坊主」

「二階から目薬」

「焼石に水」

「棚からぼた餅」

「地獄の中の仏」

「泣顔(つら)に蜂」

「濡手に粟」

「にげた魚は大きい」

 

というように。諺としてつたわった言葉は真理であるという社会通念が上に立ち、その説得力を利用したのは、野もほかの地方とおなじであったという証左であろうか。

 

 

さて、俗信、そして諺を生活のなかにとりいれている地方は数多い。観天望気という言葉がある。光象や生物の現象によって天候を予想して、これを日常生活に利用することである。たとえば農村では養蚕に、麦や稲の収納に明日の天候が重要な課題になる。漁村でもおなじである。レジャーをいかにすごすかという都会の人にとっても、天候は大きな課題となっている。天気相談所に問合わせの電話が殺到するのをみても、いかに天候というものが人間に作用しているかがうかがえる。

俗信、そして諺はいたずらに生まれたものではない。生まれるには生まれるだけの理由があり、素地があったのである。しかし、これらのすべてが社会性に基づいているわけではない。

そこで、これらのなかから、現代生活に即した、つまり、現代にも役立つもの、たとえば天災予知などを中心に採集してみよ 秋海春山 秋は海の方の空が晴れていれば晴天になり、春は山の方が晴れていれば晴天になるということである。

 

 秋北三西 秋は北が晴れれば翌日は晴天、

春三月は西に雲がなければ晴れになる。

 秋西に苫負え秋北に鎌とげ秋の天候判断の諺。

つまり、風だったら雨の用意、北風だったら晴れるから鎌をといで仕事の用意をした方がいいというのである。

 秋の北風春南 

秋の北風と春の南風は、すぐ西南風にかわるから、船にのる人は沖に流されないよう注意した方がいい。

 秋の夕焼け鎌をとげ秋の朝照隣へ行くな 

秋の夕焼けの翌日晴天であるから鎌をとげ、朝照りは雨の兆だから、近くの外出でも止めた方がいい。

 明くる空には行くべし暮るる空には行くべからず 

夜明けならまだ暗くても先は安心だが、日暮れからの出発は、宵が浅くても危険だから見合わせた方がいい。

 朝雨女の腕まくり 

朝雨はじき止む、女の腕まくりもおどろく必要がない。つまり、どちらもおそるるに足らないというこよ。

 浅い川も深く渡れ 

浅い川でも深い川とおなじように用心した方がいい。

 朝雲に川渡りすな 

朝の雷は暴風雨の兆だから、川を渡って行くようなところには行かない方がいい。

 朝霧は雨夕霧は晴 

朝霧がかかれば雨、夕霧がかかるのは晴れということ。

 朝茶は七里帰っても飲め 

朝の茶は七里の道をもどっても飲む。

災難にあう時節には災難にあうがよく候一良寛-

あれも山の肌に残った雪が馬の形をするようになると、もみを苗代におろしてもよいというような伝承から生れたものであった。富士山でも、山の雪が鳥の形になるのを見て、農民たちは暦に代えていたのである。青森県八甲田山では、雪の形が老爺のものをまく格好に似ているので、タネマキオツコなどといっていた。長野県の爺ケ岳というのも、やはり種まき爺の形が雪でできるからであった。

 雪月花というと、

今日の日本では美しいものをあらわすように考えているが、この三つとも実は最もふさわしい自然の暦として、日本人が永い間いつも注意してきた天然現象であった。

 東北地方なんかで、コブシの花のことを「種まきざくら」とか「田打ちざくら」といったのも、この花の咲くころがちょうど苗代

学に種をまくのに適した時期だったからである。

青森県五戸付近で「田打ちざくら」というのは白もくれんのことだが、四月の末ごろの田打ちのころに咲きはじめるからで「田打

ちざくらがいっぱい咲けば世の中よい」などといわれている。宮本常一さんは、島根県邑智郡田所村というところで、

 「あそこの背戸のさくらが咲いたから種おろしをしなければ……」

といっているのを聞いたことがあると『民間暦』のなかに書いている。この本は、民俗学と暦や午甲行事のことを知るにはよい本である。

 雪も花もただの暦であっただけではない。

農作の出来を占うこともあったのである。だから、なおさら注意して観察したのだといえよう。「雪は豊年のみゆつぎ」ということわざがあるが、春先の雪は豊作をもたらすものと信じられていた。

長野県の有名な「雪祭り」なども雪のない年には、よそから搬んで来てでも祭りをする必要があったのである。

花の咲くのも実のなることの前ぶれとして、やはり気にしたものである。殊にさくらの花は稲の先ぶれとされていた。京都・今宮神社の「やずらい祭り」は名高いが、せっかく咲いた花が早く散ってしまわないように花鎮めをして豊作をいのり、悪い疫病のはやるのを防ごうとしたのである。

 日本人独得の花見の習慣なども、たださくらの花が咲いたから見物に行くのでなく、稲作の前兆としてのさくらの花の咲き具合をよく観察する必要のあったことから生れた習わしである。

コブシの花なども長野県北安曇郡などでは

「コブシの花がよく咲くと豆が豊年だ」

「コブシの花の咲かない年は大豆が不作だ」

といっている。’

 

鳥もまた暦であった。

 

ホトトギスは歌によまれ、文学にもさかんに出てくるが、もともと勧農鳥ともいわれたほどで農業に関係が深かった。三重県和具などで

「ホトトギスが鳴くと麦がうれる」

といっているのなどその一例である。

 

 日本は春の霞や秋の霧がふかいので、星は月ほどに天然の暦とはならなかったが、それでも兵庫県加西郡で「スマルのいりまき」といい、スマル星の出るころになると稲刈りをして麦をまいたというのや、福井県の漁村でスマル星が出ると一本釣りに出たという例など資料はすくなくない。

 山口県平郡島では正月になると、夕闇の西空に出る星を「雑煮星」と呼んで、正月が来たとよろこんだそうである。

 文字のない人々にも、日本の自然は立派な暦を提供していてくれたといえよう。






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最終更新日  2021年11月18日 06時12分31秒
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