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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2021年12月27日
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カテゴリ:文学資料館

  『富士日記』加茂季鷹

 

津久井・富士・甲斐日記(日記記行文)に観る甲斐(2)

 

   丸山光重氏著 

一部加筆 山梨県歴史文学館

 

  『富士日記』

 

「富士日記」は、加茂季鷹の著になる。

季鷹は京都の上賀茂神社の神官で雲錦亭と号した。

初め有栖川富の門に入り和歌を学び、後江戸に移り加藤千蔭に交り、狂歌もよくした。

寛政二年(一七九〇)七月十八日江戸を出発、吉田の浅間神社の神官である刑部国仲の案内で富士登山し、河口を経て甲府に至り、

島田式穀らに伴われ酒揖宿、差出の磯など歌枕や旧跡などを尋ねて、八月十二日に江戸に帰着した間の日記である。

 

甲斐とかかわる部分を中心にみていこう。

 

 ことし寛政二年(1790)、富士にのぼりて見むとて、かの山のふもとにしづもませる浅間社のみやつこ別邸国仲にはやうちぎりおきたれば、かりそめの旅よそひして、供とする人ひとりかい連れて、夜のあくるころほひ亀しまのやどりを出,

わがのぼらんとするふもとはヽ甲斐国鶴郡なれば門出よしとてヽ家なる妻子よろこびあへり。

 

というように優雅な文章で書かれている。

 

上野原の坂本にながるゝ川はヽ相模国つく井のあがたのはてにて、川よりをちはとぞヽすなわちつる川の(うまや)にながるゝつる川をかちわたりすとて、

 

 かひの国つるの郡の鶴川を

つるはきにしてわたりつるかな

 

ほどなく野田尻といふにいたる。

長峯ヽ谷のくぼなどはまた山路にていとあつし.

きのふけふの空は、みなづきの照る日にもまさりて、

野山の土も石もやけたるやうにてふみたてがたきほどなり。

けふは猿橋までのあらましなれど、

日もくれいたうこうじたればヽ大目といふ所にやどる。

けさより道づれとなりにし富士の行者、

としは六十におほくあまれりといへど、

脚はわがどちのおよぶべくもあらず、いと健なり。

いまひとりは武蔵の雑司谷のほとり、

野寺の満行寺の阿闍梨にて、

諏訪の湯あみになん我等につきまつれる八幡の御神は、

そのかみ源義家朝臣、東の蝦夷をむけたまひしとき

調伏したまへる神にて調伏の八幡宮と申したいまつりて、

そのかみは、寺も迦藍づくりにていとおほきかりしを、

佐原業平卿、むさし野を焼たまひしをりに、

寺はもとより、ふるき鏡もやけうせぬ。

野寺のかねのと詠める歌も、わが寺の鐘をよみしなりど、

いとひがみたることゞもをヽしたりがほにかたるは、

なかなかおかしくて、足のいたさもかつはなくさみけり。

すべて東路に、八幡の御社のおほくありて、

いづれもいづれも義家朝臣の勧請となり、

先に大なる仇を控えて、征伐にむかhる軍の道すがら、

五町十町ばかり隔てつ勧請したまはむことあるべくもあらずと、

新井君美(白石)主の書き置かれしことさへ、ふと思ひ出せば、

それだにうけがたきをや。

 

廿日朝とくいのめを立て、例の山坂をこゆるに、座頭転ばしとか、

里人はいひて、かたへに谷に落ちいりしめくら法師の塚も見ゆ。

げに石多く、あやふき(かけ)()をのぼりくだりつゝ、島沢といふにいづ。

 巌崩す(かしこ)き道をわけ来つゝ見かへる山に雪ぞかゝれる。

なほゆきゆきて、猿橋の(うまや)にいたる。名だたるはしを見るに、

岸にはいと大きなる岩はそばだち、水の深さは、いく千もろともしらず。

色は藍のごとしてうづまき流れ、

橋の長さは十あまり一丈といふにすべて柱はなく、

岸より岸に桁をさし出しつ大こなたかなた組み合せて、

板を渡し、欄干(らんかん)いと高く構へたり。

水際まで深さ三十あまり三ひろありとぞ。しばしたちとどまりて見下ろしたるに、眩めくこゝちすれば、とくすぎぬ。

こゝを猿橋といふは、いにしへ(ましら)のつゞきひて、

蔦をくみあはせつゝ、かなたの岸にうち渡して、

そが上をやすらに行き交ひせしにならひて、

かけそめしよりの名なりといへど、

西沢・大目などつづきたれば、例のしひごとなるべし。

此厩にしばし憩ひて、釣橋のすくにいたる。

かの猿工みをやらしらざりけん。橋はなし。

こゝにて夜べ業平郷とかたりしすけにはわかれ、

修行者のあない(案内)にまかせて、

谷村といふ所に行て、昼のかれいくふ。

猿はしにてかひし、大きなる鮎を焼かせて食ふに、味はいとよし。

此家の前に東漸寺とて日蓮宗の寺あり。

そこをさして此里人はさらなり。近き渡りより、

来つどへるといふ人数しらづ。あやしくて主にとふに、

此寺のひじり、身まかりて、けふなんはうふりのわざし侍るを、

見侍るなるといふに、猶怪しくてとふにすべて此わたりには、

かの宗旨の寺は、これひとつにて外に侍らねば、

珍らしみて、かくつづへるなり。

されば九里十里へだちたる寺々より、

同じ宗旨の法師、さあらぬと来訪ひて、其作法し侍るなりとぞ、

とばかり有て物のねきこゆれば、菩薩十天楽などやしらぶらむ。

所のさまにも似ぬわざなれば、耳おどろかし侍ぬ。

楽人はいづこよりぞと問へば、十里あなた(向こう)甲府よりとぞいふ。

さて午後もすぎぬれば、いざやといふに、きのふの山坂にて、足が腫れ、

まめなどいふもの出来て、いとくるしければ、

こゝより馬に乗りて、申の時ばかり心ざせる吉田里にいたりて、

国仲がりつきたれば、主よろこびて、むかへすゑたり。

客入居にて、去年の春にや、強ひてのぞまれて、

わがかけりし仰岳の額を、欄間に掲げたり。

げにたがはず、富士は清少納言が、つくり出たりけむ、

雪の山のごとく、ただ庭のうちなるばかりちかくてたかく、

盆などにもりすえだらむやうにて、聳えたり。

 

日本のやまとの国のしづめとも

なるてふ山をけふ見つるかも

 

あるじ国仲

 

露しげきふじのすそ野の萩がえに

光をそへてやどる月影

 

といへりければ

 

萩がえの露をよすがにやどりても

見るかげうすきあり明の月

 

こよひ幡野正章来とぶらへり。

はじめてあへるものからあるじの物がたりにて、

はやうよりきゝつとて、

何くれとあるしもろともにかたらふに夜もふけぬれば、

またあすとてかへりぬ。

 

廿一日朝とくおきて、まづあふぎみれば、

 

こと山にしらぬ朝日を雲ゐにて

ひとりまちとる富士の高嶺か

 

けふ、あすは、諏訪の社の祭りとて、

暮方より、家ごとのまへに、

焚き木、一抱えへにも余るばかりの囲みにて、

高さは弐間一尺といふが、いにしへよりのさだめといへれど、

中には五六間ばかりにて、馬におほするに、

おほよそ十駄ばかりなりといふ。

(つい)松を、たてならべたり。

町の長さ十三町ばかりなるに、残れるは、忌ある家のみなれば、

おほかた百数八にも及ぶべきが、日のくるゝを待ちて、

一時に燈しつけたるさま、秋の夜の闇もあやなく見えたり。

されどいかに風のはてしきをりも、

昔より、今宵の大のあやまちは、さらになしとぞ。

いともかしこき神の御稜(みい)()は、末の世とも思ひなされぬわざなりけり。

今宵諏訪浅間社に詣づ。

名だたる大鳥井は、まことに名にたがはざりけり。

そもそもシオン者は、延暦七年(しちばっ八)に、

甲斐守紀豊庭朝臣の、宮づくりし給へりとぞ。

祀れる神、富士浅間は、木花間耶姫命ノ命 藤武神、

諏訪の方は、建御名方命建岡神、を祝へりと、

里人のくはしくいへり。鳥井のたかさ、すべて六丈二尺、

額は三国第一山とありて、縦一丈二尺、横九尺、

筆は、二品良怒法親王。後ろの二社は、

瓊瓊(にに)(ぎの)(みこと)大山祇令(おおやまつみのみこと)をいはひまつれるよし。

国仲しるべして、宿りに帰る道、

諏訪の社の外(と)つ富の神主、佐藤上総が家に行く。

此の上総は去年故郷にて逢いし人なれば、

大御酒などおろして、いさきかもてなすなまなれど、

こよひのうちに奉れる神籤、

七十五度にて、其品も七十五種ありとて、

いといそしきけしきなれば、とくかへりぬ。

 

廿二日、今日は祭りの相撲ありときけば行て見るに、

大鳥井のねきなる森の、いさゝかくぼかなる所にて、

住まふなりけり。

小高き所に、柴をり敷きて見るに、いと興あり。

ゆふつけてかへさに、四位のうへのきぬ着たるが、

日蔭の糸をかづらきて、馬にのれる宮人あり。

いとめづらしくおぼえて

 

石上ふりにし神の宮人

とひとも見るかにかづらくやたれ

 

と、ふる歌めきたることをくちずさびつゝ帰りて、

国仲にとへば、それなん、神主小佐野なにがしとて、

五位なるが、都にのぼれけるをりに、

何がしどのとやらんたまへりとて、

四位のうへのきぬきるよし、

いぶかしきことにこそはとて、

所のものも、物のこゝろしりたるは、うけひかずとぞ、

日かげのいとは、みやびたれど、

此うへのきぬぞ興さむるわざなりける。

神わざやくをへつとて、

上総きたりて夜ふくるまで物がたりせり、

彼七十五度はいかにしてかくはやくをへにけむと、

きかまほしきこゝちす。

 

廿三日、

よべよりいささか雨ふり出たり。

けふは御山にのぼらんとて、心がまへしたれば、

雨やめてといふは、ほいなきものから、

此わけ来しをきかば、

やがて来とぶらふべき倫丈法師なども、

ちかき村々よりねがへりとて、いにし十七日より、

食ものを断ちて、七日の祈はじめて、

けふなんみて侍る日なりと聞けば、

わがあらましのたがふは、

かへりては喜ぶべきことにこそなど、

主にかたらふほどに、かの聖より消息して、

とくまうで来ぬこと、この祈りにかゝりてなど。

ねもごろに聞えたり。

歳も二十歳に二とせたらぬ法師の、

さるはれの祈をして、いさきかなれど、

かくしるしあらはせること、いと頼もし。

文も七日ばかりをものたてる人の筆のすさびとも見えず。

かへすがへすめでたしかし。

午の時ごろより雨はれたるに、

とく門に出で見たまへ、めづらしきもの見せ参らせむと、

あるじのいへれば、

出て見るに、其夜ふりけりといひしにたがはず、

峰のかたいと白くつもりたり。

 

名にしおふ富士の高ねも昨日けふ

おちひかけきや雪のしらゆふ

 

此ごろ浅間社の広前にて。

 

  五百重山かさなる道をわけ来つゝ

洗ふぐこゝろは神ぞしるらむ

 

塵ひぢのつもりでなれる物ぞとは富士の嶺しらぬ人やいひけむ。

と思ひつづけしを同じく書て奉れと、

あるじのすゝむるにまかせて、

かの四位の抱きし、五位の神主のもとに国仲して奉りつ。

また朝夕と

 

言の葉のみちしるべせよ富士のねの

ふもとにしげき露のしたくさ 






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最終更新日  2021年12月27日 16時53分15秒
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