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2022年01月20日
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新井白石 Wikipedia

u 順庵との出会い

独学を続けていた白石は、貞享三年(一六八六年)になって朱子学者・木下順庵に入門することになった。通常入門には束脩(入学金)がかかるものだが、白石にはそれが免ぜられ、順庵も弟子というより客分として遇するほど白石に目にかけていた節がある。順庵の門下生には、白石の他、雨森芳洲、室鳩巣、祇園南海等、後に高名な学者になる者が多く集まっていたため、順庵に入門できたことは白石にとって大変意義があった。

その後、順庵は元禄六年(一六九三年)、甲府藩への仕官を推挙した。白石が三十七歳の時である。藩主・徳川綱豊は当初、林家に弟子の推薦を依頼したが、当時の綱豊は将軍・徳川綱吉から疎んじられており、林家からは綱豊に将来性なしと見限られ断られてしまった。そこで順庵の方に推挙を依頼してきたのである。

甲府藩の提示した内容は、当初三十人扶持の俸禄だったが、順庵が「白石よりも学問が劣る弟子でさえ三十人扶持などという薄禄はいない。これでは推挙できかねる」と掛け合った結果、甲府藩からは改めて四十人扶持が提示された。これでもなお順庵は推挙を渋ったが、白石は「かの藩邸のこと、他藩に準ずべからず(将軍家の御連枝である甲府藩は他の大名家とは訳が異なる)」と、むしろ綱豊の将来性を見込んで順庵に正式に推薦を依頼したのである。

u 正徳の治

徳川綱吉は多額の支出をして寺社を建立して祈祷し、生類憐れみの令を出したが、結局子宝に恵まれず、綱豊を将軍世子として西丸に入れた。

宝永六年(一七一〇年)綱豊は名を家宣と改め、将軍となった。家宣は将軍に就任すると、側用人の松平輝貞・松平忠周を解任し、大学頭・林信篤を抑えて、白石にその職責の大半を代行させた。ここ家宣は甲府家から白石や間部詮房を自身の側近として、後に正徳の治と呼ばれるようになる政治改革を行った。白石の身分は五百石取り(のち正徳元年千石に加増)の本丸寄合、すなわち無役の旗本なので、御用部屋に入るわけにはいかない。そこで家宣からの諮問を側用人間部が白石に回送し、それに答えるという形を取った。幕閣でも側用人でもない一介の旗本が、将軍侍講として幕政の運営にこれほどまでに関与したのは、この白石をおいて他に例を見ない。

白石の政策は旧来の悪弊を正す理にかなったものではあったが、「東照神君以来の祖法変ずべからず」とする幕閣とは齟齬をきたし、やがて両者の間には深刻な軋轢が生じるようになる。自らが主張することに信念を抱き、誰が何を言って反対しても臆することなく、最後には「上様の御意」でその意見が通るので、白石は旧守派の幕臣からは「鬼」と呼ばれて恐れられるようになった。

家宣が没すると、その子の七代将軍・徳川家継の下でも引き続き間部と共に政権を担当することになったが、幼君を守り立てての政局運営は困難を極めた。幕閣や譜代大名の抵抗も徐々に激しくなり、家継が夭逝して八代将軍に徳川吉宗が就くと白石は失脚、公的な政治活動から退いた。

なお城廻(鎌倉市)に家禄を得ると、白石は付近にある龍宝寺に二百石を献上した。龍寶寺には、風化して判読不能だが、享保十年(一七二五年)に室鳩巣が撰した「朝散大夫新井源公碑銘」がある。

引退後

致仕後、白石が幼少の家継の将軍権威を向上すべく改訂した朝鮮通信使の応接や武家諸法度は、吉宗によってことごとく覆された。また、白石が家宣の諮問に応じて提出した膨大な政策資料が廃棄処分にされたり、幕府に献上した著書なども破棄されたりしたという。






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最終更新日  2022年01月20日 05時26分50秒
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