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山梨に在った石炭・石油 鉱山の一斉巡見「甲斐国金銀山、石炭山々巡見日記」
明治二年、新政府発足後まだ日の浅い八月、東、西河内領において、外人のシャロウェイ、ペユロの二名によって、鉱山の一斉巡見が行なわれた。 その時の随行者高橋平右衛門の 「甲斐国金銀山、石炭山々巡見日記」 も、この方面の金ヅルに対しての資料となるので、ざっと記しておく。 ○八月四日 天気、甲府出発、鰍沢泊り。 ○八月五日 天気、舟で切石宿へ着き岩蔵屋へ泊り。 ○八月六日 切石出発、早川入り。 保村ヘー泊して翌日 天金山へ登山して石色持ち帰り、 理数を見おける。 七ツ時下山、雨畑長百姓加兵衛くる。 黒川村藤三郎手札、京ケ嶋新絵図差出す。 ○ 石炭山々之儀とも、 才十郎相弁じ候事の書きつけ預けおく。 ○八月八日 雨畑村々へ出状差出す。同日天気、 川路より黒川出張、雨畑村善七、惣七くる。 黒桂村役人くる。 ○八月九日 同日天気、八ツより曇る。 大金山の下、川今さらい出す。 ○八月十日 天気、早川岸より上手滝下河原流金浚い。 早川村忠左衛門酒持参す。 草塩村より京ケ島へ通達。 明後十二目保村出立、京ケ嶋山川一見、 同村帰りのこと。 ○八月十一日 大金山へ登る、拙宿に泊る。 伝十郎宅へ見敷、朝晨庵出張す。 禅宗日府菱伴儀三郎殿来る。保山一泊。 繭卵継持参。 ○八月十二日 鉄次郎、大塩、久成、平須、矢細工、古長谷村、 福原、梨子、笹走、塩之上、昼食平須。 ○同日 泊、大塩村。
と、この巡見日記によっても、やはりこの久成方面に鉱物資源のあることが判断できる。 ここで明治四十四年頃の鉱区を見ていく。
南巨摩郡鉱区一覧 (明治四四・四五年) (単位 坪)
大須成 ○静 川 石炭 219,215 四 島 ○身 延 石炭 351,276 ○木 建 金 309.285 ○五 箇 金・銀・銅 鉛・亜鉛 645、000 ○硯 島 鉛・亜鉛 223,058 ○西 山 鉛・亜鉛 278,804 ○三 里 金 183,912 〇三 里 〇五 開 金 110,838 〇睦 合 石油 206,753 ○右 同 石油 203,368 ○芦 安 金・銀・銅 鉛・亜鉛 281,120 ○芦 安 金・銀・銅 553,585 ○穂 積 マンガン 424,250 ○同 金・銀・銅 91,235 ○都 川 金 165,420 ○同 金・銀・銅 146,038 ○同 金 141,750 ○同 金 559,593 ○平 林 金・銀・銅 330,373 増 穂 ○落 合 マンガン 114,050
以上に対し、大正七、八年になると、がぜん膨れ上がる。 スペースの都合で概算を示す。 鉱 区 件 数 ○硯 島 十九件 金・銀・銅 ○都 川 九件 金・銀・銅・水鉛 ○西 山 ニ十一件 金・銀・銅・鉛・亜鉛 ○三 里 六件 金・銀・銅・鉛・亜鉛 〇穂 積 四件 マンガン ○富 河 一件 石炭 ○鰍 沢 一件 マンガン ○本 建 三件 金・銀 ○豊 岡 二件 金・銀・銅・水鉛 ○静 川 二件 金・銀 ○曙 二件 金・銀 ○下 山 一件 金・銀 ○大須成 一件 石炭
他に阿倍の井川 二件 金・銀 ○古 関 十一件 金・銀・銅・重石・亜鉛 ○富 里 十七件 金・銀・マンガン ○上・下九一色村 四件 金・銀・銅 ○久那土 二件 金・銀・銅 ○栄 二件 金・銀・銅 ○落 合 二件 金・銀・銅
宮原・葛龍沢・山保・富士郡裾野三件、駿州上井出の一件は、それぞれ、金、銀、銅、鉛などである。抱きあわせのため、東西河内領以外のものも数件ある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年02月26日 04時18分06秒
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