「やっぱり伝統を守っているだけじゃ、ダメなんだよね。
現代に合う物に変化させないと、生き残っていけないんだよね。」
色々な伝統文化が、伝統文化だけでは生き残っていけないので、
元々有る伝統を現代風に変化、というか進化させて、
今の世代に好まれるようにアレンジしている。
それは、それぞれの分野の職人技だと言える。
私が見たのはその中の、お酒の分野だった。
「逆転人生」という番組の中で、
山口県で日本酒を造る桜井社長(68歳)を取り上げていた。
山口県で日本酒?‥馴染が無いのだけど‥。
日本酒の原料はお米なので、米どころの県が有名になる場合が多いのだが、
山口県なの?‥ん??
桜井社長が社長になったのは34歳の時で、父親が急死したためだった。
その時の売り上げは、前年比85%‥10年ずーっと下降し続けていた。
その当時の忘れられない思い出があると、桜井社長は言う。
それが‥子供が通う小学校の廃品回収のことなのだが、
酒瓶が2000~4000本集まる中で、
自分の会社の銘柄が、3~4本しか無かったというのだ。
どの酒も有名処で、テレビやラジオで流れている銘柄ばかりだったようだ。
(地元だというのに、自分の会社の銘柄がたった4本!?)
社長の落胆ぶりは、大きかっただろうと思う。
社員に言わせると「日本酒全体が右肩下がりなのだから仕方がない。」
もうすっかり諦めムードのようである。
社長にしてみたら、このままではいつか倒産するという危機感。
だから生き残るためには、現状を変えなければならないという強い想い。
当時のお酒は、ただ酔えさえすれば良い‥というのがお酒の立ち位置。
酔って酔い潰れる‥そのためにお酒を飲む、という感覚だったのである。
この現状を打破するには‥。
社長はその頃まだ馴染みが薄かった大吟醸に目を付けた。
その大吟醸は、米の雑味を削って米の芯の部分だけを使う。
10年という年月をかけて、米を4分の3も削って雑味を無くしていく。
4分の3も削るということは、米の量も桁違いに使うことになる。
それ以外に酵母菌や米の質も関係してくる。
それらを毎年研究して、ようやく納得のいくお酒を造ることができた。
社長就任当時の売り上げが1億円だったのが、10年後3億円に上がる。
ここから現在の135億円の売り上げにしたのは、
市場を世界に変えたからである。
その市場も、従来の日本食のお店や日本食を販売しているお店でなく、
アメリカやヨーロッパで、地元のレストランに売り込んで開拓した。
地元の食材にも日本酒は合う!という信念で、開拓していったのだ。
この話しは「獺祭」という銘柄なのだが、ご存じだろうか?
アルコール大好きな私は、この話しを興味深く聞いた。
雑味が無くフルーティーな香りのお酒。
良いものは日本だけに留まらず、国境を越えて生き残るのだと思った。