日曜日に弟が、買い物にいつ行く?と聞いてくれる。
重い買い物袋を、車で運んでくれるためだ。
「月曜日は‥どう?」私の言う月曜日は祭日で、
珍しいことに今回の祭日は、弟も休みである。
すると弟があまりいい顔をしなかった。
暫くして弟は「日曜日はダメなのか?」と聞いてきた。
ん?私にとって日曜日も月曜の祝日も、同じ休みに違いないので、
どうして祝日がダメなのか、意味が分からなかった。
毎週次の日が仕事である日曜日でも、買い物に行ってくれるのだから、
月曜の祝日で次の日が仕事でも、
同じように行ってくれるものだと思ったわけなのだが‥。
「あっ、じゃぁ買い物は大丈夫、ありがとうね。」と言って、
申し出を断った。
別に何回かに分けて行けば、重くて運べないわけではない。
退職前の私なら、弟が行ってくれる時に合わせて買い物をするのだが、
今はいつでも自分で行けるので、弟に合わせる必要はない。
今回も私からお願いして行って欲しいと言ったわけでなく、
弟のほうから「買い物に一緒に行こうか?」と提案してきたのが発端。
それに対して私のほうが望む日でなかったので、断わっただけである。
でも、私の中で疑問が残った。
私にとっては日曜も祝日も同じ「休み」というカテゴリーである。
でも‥‥‥。
「あっ!なるほど~そういうことか!」
私にとって同じものでも、弟にとっては一緒とは限らない。
それは‥弟にとって祝日は私と同じ扱いの日ではないからだ。
なかなか祝日が休みにならない弟にとって、
祝日が休みという日は「特別の日」になるのだ。
だからその特別の日を、
自分だけのために使いたいという心理が生まれるわけだった。
(そういうことなのね!?)と、私は頷いた。
彼にとってのこの祝日は、年に1,2回しかないお休みで、
正に「特別の日」なのであった。
自分の考え方で凝り固まっていたら、
きっと弟の気持ちは一生分からないだろう。
弟の立場に立ってみて初めて、分かる言葉の意味である。
(こういう事で、人と人とのすれ違いが起きてしまうんだろうなぁ‥)
相手の立場にたって考え無かったら、相手の気持ちは分からないままだ。
考えなければ分かり合えないまま、友達を失っていくのだと思った。
私は昔短気で、自分の思ったことをすぐに口にしてきた。
多分気の弱い友達は、もうそこで口をつぐんでしまっただろう。
(友達がいなくなるわけだなぁ~私は‥)
そう思いつつも、別にそれでも構わないと思って生きてきた私だから、
そこに反省が無い。(^_^.)
反省しないから、振り返らないし、
問題になったことを突き止めようともしなかった。
コミュニケーションを取るとか、相手の立場にたって物事を考えるとか、
全然やってこなかった若い頃の私。
今は反省しきりである。
この地球上に、何十億と人間が存在する中、
まず出会う確率はどれだけのパーセントなのだろうか?
その上で、分かり合える存在になる数は‥あまりにも一握りである。
ミクロの世界と言っても良いだろう。
もっと出会いを、縁を、大切にして生きていかなければ、
大きな宝を失った人生になってしまうだろう。
ふと立ち止まって、自分や自分の周りも見つめ直してもいいのでは?
そんなふうに感じた、弟とのやりとりだった。