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カテゴリ:トルコ人と日本人
授業はおもしろい。生徒たちも熱心だし、教室の雰囲気もとてもよい。
1か月半が経ったが、6人の生徒が漢字をはじめることになった。それ以外の生徒もひらがなの読み書きは不自由なくできるようになった。カタカナも自主的に勉強をする人が増え、今日、ナ行とハ行をやったが、ひらがなのころと比べると反応が早い。 全く何も知らなかった人たちが、日本語を覚えて、会話をし、日本に興味を持ってくれること、これは関わった人間としてうれしいことである。 日本語を勉強するトルコ人たちを見ていて、自分がトルコ語を勉強し始めたときのことを思い出す。 私はトルコへ来る前に、日本の日ト協会で週2回、トータルで40時間程度の講座に通った。 当時の講師は大島直政先生で、語学のプロではなかったけど、それが逆によかったのか、初心者にもとてもわかりやすく、また先生が愛情を持って話してくれるトルコやトルコ人の話を聞きながら、ますますトルコへの思いを馳せた。 仕事も忙しかったので、家で熱心に勉強した覚えはないが、トルコ語をマスターしたいという気持ちは十分あったので、授業は真剣に聞いたし、その行き来の電車の中で予習復習をした。 おかげで文法はこの約3か月間でほぼマスターしたし、その後、アンタルヤのトメルに1か月半行ったけど、文法で新しく覚えることはなかったし、トルコでは単語数を増やすことと、会話に慣れることだけに専念できた。 日本語講座の生徒たちや、個人的に日本語を勉強している人たちがいるが、ある程度やった人からよく聞く言葉が、「日本へ行かないと覚えられない」もしくは「日本へ行けばすぐに話せるようになる」。 それはある意味で正解だと思うが、私的には、これはある程度勉強した上での話しだと思う。 住んでいれば、会話はある程度まで上達する。 でもそれ以上のことをマスターしようとしたときに、その人に文法の基礎があるかないかで、差がでる場合が多いと思う。 これがどうしてこうなるのか・・・・理論的にわかると、覚えは絶対早いと思う。 もちろん語学もセンスの問題もあるから、センスがある人にはそんなことは関係ないのだろうけど、語学センスのない私にとっては文法を知っていたおかげで救われた部分が大きい。 だから生徒たちにも、正しく丁寧な言葉で、基礎をしっかりやりましょう。そうしたら今、わからないことでも後でこういうことなのか・・・・とひらめくことが絶対あるから・・・・と説明する。 そうしないと日本へ行って何年も経つのにまともな日本語を話すことはもちろん、書けない人になるし、彼女から習った女言葉の日本語でしか話せないということになる。(それも愛嬌なのでしょうけど・・・) 私も語学のプロではない。 ただ編集の仕事をしていたので、言葉の使い方や間違いには敏感である。(今は日本語を忘れているので敏感には違いないが、間違っている・・・・) トルコ語もとりあえずは不自由はないので、文法の違いや生徒たちの疑問に応えることもできている・・・・と思う。日本語の難しさも実感しているところ。 大島先生の授業を受けて、トルコがますます好きになったように、日本語講座の生徒たちも日本を好きになってくれたらいい。 またトルコ語を習ったことをきっかけに、トルコで暮らすことが現実となり、今の自分がいるという不思議・・・・。生徒の中には私が日本語の授業をしたことで、価値観や考え方が変わったり、人生が変わったりする人もでてくるのかな・・・なんて思うとそれも感動。 もともと、お役所の上役から無理やり引っ張り出された形での日本語講師だけど、おもしろくなってきているし、今となっては感謝すらしている。 自分で日本語の先生なんてガラじゃないんだけど・・・ってわかっているんだけど、人生、たまにはこういうのもありかな・・・・なんて。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006年11月16日 03時20分51秒
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