ラマザン月が始まっていた・・・
・・・・って今頃気がつくな!? って突っ込んでおこう。24日の明け方、日が昇ると同時に断食がはじまっていた。24日の夜中3時頃起きだして(食事を作る人はもっと早く)、朝食をとり、最後のタバコを吸う。夜のお勤めをした人や異性間の接触(夫婦間の軽いキスや抱擁でも・・・という話)があった人はシャワーを浴びて身体を清めておく。今朝、断食が始まって5日目なんだけど、12時に寝て3時に起きて仕事をしていた。最近、あまり聞かないな・・・と思っていたけど、一応、かすかにだけど断食月恒例の「起きる時間だよ~」という知らせである太鼓の音が聞こえた。この太鼓、別に火の用心みたいに町内会で決まっているわけじゃないし、以前ほど聞かなくなったのだけど、誰かがやっている。ボランティアかというと、そういうわけでもなくて、断食が終わると各家庭を回って、お布施をもらうシステムになっている(らしい・・・私はあげたことがないからわからない)。この太鼓の音を聞いて、そういえば断食月に入ったんだっけ・・・・・いつからだったのかな、と思ったわけである。周りのトルコ人は断食していないのが多いから、どうも忘れてしまう。たぶんしている人もたくさんいるのだろうけど、慣習として以前ほど気を遣わなくていいから、そういえばしてたよね・・・という感じになってしまう。でも断食月であることを忘れていた一番の原因は新聞記者のフセインと先週から会っていないことである。フセインは宗教的に厳しいコンヤの出身で、アンタルヤに来てからはだいぶ開けてきたけど、断食だけは続けていた。そして毎年、誰も断食しないミフリへ来ては、お腹が空いているのを表情にしっかり出しながら、夕方のイフタルの時間をそわそわしながら待っている。平常を装う(実際そうなんだけど)ハムディおじちゃんと違って、あきらかになるものだから、毎年フセインを見て、今年も断食月が来たんだな・・・って。それがフセインが来ていないものだから、すっかり忘れていたというわけ。さてフセイン、いよいよ今年、兵役に行くことになった。年末頃から約5か月。5か月なんてあっという間だから、さっさと行ってこい! ってみんなに言われながら、でも本人は覚悟を決めたとはいえ、かなりプレッシャーになっているようだ。大卒の場合、コムタンとして12か月間(11か月だったけ!? いい加減・・・)、給料をもらいながら兵役を済ませるか、給料なしで短期の5か月間か・・・試験があるのだが、選択できる。コムタンの場合、身分は上だが、その分小隊を率いて前線に出ることもある(らしい)。5か月の場合は資料整理とか、通信とか、デスクワークが中心で週末は外出もできる(らしい)。フセインの場合、通信の可能性もあるし、記者として採用される場合もあるから、そんなに大変な思いはしないと思うのだけど、走らされて少しでも痩せてくるかな・・・・なんて思っている。その分、食べるって話も聞くけど・・・・。話はもとに戻り、そういえば、カラアリオール公園にチャドルが出来ていたような気がする。毎年、アンタルヤ市ではカレイチに続く、海側にある公園にイフタルのご飯を無料で振舞うテントと、食べ物やお土産ものの出店が並ぶ。ライトがついて、夜遅くまでにぎわうのであるが、何年か前に見たイスタンブルのそれはもっと賑やかで、人も多かった。ここ数年、本当に断食月をあまり意識しないで、過ごせるようになったが、思うのは、このところ涼しくなってきてよかったな・・・って。信仰でやっている人にとっては暑いも寒いも関係ないことなんだろうけど。というわけで、来月の23、24、25日はラマザンバイラムで官公庁も学校もお休みである。国民の里帰りや観光旅行もこの前後に集中するので、トルコ旅行をされる方は早めの交通手段の確保もお忘れなく。