裁判員制度と大政奉還
いつものことながら更新頻度にムラがあってすみません。裁判員制度について昨日に引き続き、底の浅い話を書きます。従来から私が思ってきて、そしておそらく、同じように感じた方もおられるのではないかと思っているのは、裁判員制度というのはつまるところ、「大政奉還」みたいなものではないかということです。鎌倉幕府以来、武家が日本の政治を行ってきたのを、徳川15代将軍・慶喜が朝廷に政権を返上した。幕末、徳川幕府が弱体化し、外国からは開国を迫られ、民衆の間では攘夷熱が盛んだった。西国の「雄藩」は幕府に逆らいだして、国内の政情も揺れはじめた。朝廷の公家は、幕府は何をしてるんだ、外人は追い払えず、国内をまとめることもできないのか、と散々責め立てたことでしょう。で、徳川慶喜は、「そんなに言うならアンタらが政治をやれ!」と言って、朝廷に政権を返上しまったわけです。で、裁判員制度の話。大昔、罪を犯した人を裁くのは民衆の仕事でした。例えば殺人を犯した人に対しては、遺族が復讐するか、村人の多数決や村の長老の裁きによって処置を決める。しかし、復讐なんて遺族にとっても大変だし、復讐はさらなる復讐を呼ぶことになる。また、人口が増えるに連れて、多数決も困難となり、長老でも治めきれなくなる。それで、近代国家ができていく過程で、罪を裁くのは国家に任せようということになった。それが近年では、裁判所という国家機関に対する風当たりが強くなった。人を殺しておいて無期懲役はなかろう、心神喪失で無罪なんておかしい、裁判官は常識を知らなさ過ぎると、そういう世論が強くなった。それで裁判官たちが、「そんなに言うならアンタらが裁判をやれ!」となって、人を裁く権利を国民に戻したというわけです。国民の良識を裁判に取り入れるというのが裁判員制度のタテマエで、そう表現すると聞こえは良いのですが、これは言い方を変えると、裁判官が常識を知らないというのであれば、アンタらが実際に事件に接して、アンタらの言う常識ってもので判断してみろ、ということでしょう。大政奉還のときは、幕府から「政権は預かっていたものだから返す」と言われると、朝廷はそれを断る理由を持たなかった。でもその後、新国家建設のためには物すごい苦難があったはずです。裁判員制度導入にあたっては、裁判に国民の良識を取り入れると言われると、それ自体は良さそうなことなので、国会は反対する理由もなかった。裁判員制度が根づくかどうかはわかりませんが、どちらにせよ、今後の苦難が予想されます。