テーマ:最近観た映画。(40112)
カテゴリ:アメリカ映画(今世紀)
ポール・トーマス・アンダーソンの『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』を鑑賞。 ネタバレ的な事は書かないしストーリーが分かってしまうところはいつも通り マークの中に白で書くけれど、とにかく記したい事がたくさんあり色々書くので、 まっさらな状態で観たい方はこの続きを読まない方がいいかもしれません。 ただ、1つだけ言わせてください・・・ ふだんこのジャンルを観ない人にもお勧めできる「映画の王道」的作品です 映画の概要はというと・・難しいのでYahoo!映画から引用しますね。 マグノリア』『パンチドランク・ラブ』のポール・トーマス・アンダーソン監督の 最高傑作との呼び声も高い、石油採掘によってアメリカン・ドリームをかなえた男の 利権争いと血塗られた歴史を描いた社会派ドラマ。 原作は1927年に発表された、社会派作家アプトン・シンクレアの「石油!」。 『マイ・レフトフット』のオスカー俳優ダニエル・デイ=ルイスが、冷徹な石油王を熱演。 人間の計り知れない欲望や恐怖を、改めて思い知らされる。 (ごく一部だけ賛同できない部分があったのでカットさせてもらいました。) 何が良かったかというとまずはもちろんダニエル・デイ=ルイスの小賢しくて獰猛な ダニエル・プレインビューという男の演技・・いや「演技」というよりもそのなりきり具合が 前評判通り素晴らしかったです。 アカデミー主演男優賞も、納得。 このダニエル・プレインビューは元々自分の石油事業の為なら手段を選ばない男だったけれど、 信頼できない人間を冷酷に撃ち殺すところにまで堕ちてしまいます。 ほんの少しでも疑いがある者は生かしておけない ー この精神に私は 『ゴッドファーザー』3部作(コッポラ、1972年・1974年・1990年)を思い出しました。 (単に、偶然同じ映画館で観たからかもしれないけど・・・。) 展開の激しさという意味ではぱっと見、『ゴッドファーザー』の方が勝ると思います。 (何しろ3部作だし殺人シーンも、派手で華やかなシーンもこちらより遥かに多いし。) だけどこのダニエル・プレインビューが本当に孤独で、守るべきものと言えば自分しかないのに それでも必要以上にひたすら突き進むのを見ていると強烈なエゴを感じ、衝撃を受けました。 しかも、観ているこちら側にショックを与えてくる彼の行動の原動力は 「富と権力を手に入れたい」という願い。 これは程度の差こそあれ、人間誰しもが多かれ少なかれ抱く自然な欲求とも言えます。 この映画を観ているとどうしてもコーエン兄弟の『ノーカントリー』と比較してしまうのだけど、 無差別殺人を行う(様に私には見えた)シガーの性格よりも ダニエル・プレインビューの考えの方が理解が容易くて、その分一層恐ろしく感じました。 『ノーカントリー』のシガーはここ数十年前になって発生した新しいタイプの殺人犯だと 知ってはいるけれど、平和ボケし過ぎの私には実感が沸かなかったしね・・・。 あちらよりも更に50年ぐらい前を舞台にしたこのクラシカルな狂気を描く作品の方が 万人に分かりやすいのではないでしょうか、もちろん良し悪しは別として。 逆に言えばこの映画は『ノーカントリー』に比べるとテーマに新しさが足りないという事でも あるけれど、その分、私の様に「ジャンル慣れしていない」人にもお勧めできると思います。 良い映画というのは主役の質だけでは成立しません。 もちろん、脇をまとめる役者達も光っていました。 小さな村の牧師(?)を演じたポール・ダノ。 あまりの怪演に、まさか『リトル・ミス・サンシャイン』(ジョナサン・デイトン、2006年)の お兄ちゃんと同じ人だとは思いもしませんでした。 H.W.役のディロン・フリーシャーも場数を踏んできた子役かと思う演技だったし (実際は違うと後で知ってびっくり)、 ケヴィン・J・オコナーの気の弱い男っぷりもハマってる! おかげで長さも全然苦痛に感じないですみました。 ただ1つ前半部分で残念に思えたのは、レディオヘッドのメンバーが作ったというサントラ。 私は音感ゼロのうえ音楽に詳しくないのであくまで主観で書くけれど・・・1番最初、 ダニエル・プレインビューが1人で石油採掘に励んでいるシーンから聞こえてきた曲には、 『砂の女』(勅使河原宏、1964年)に多用されている武満徹作品を思い出させられました。 (音楽の雰囲気も似ているし、「地中に居る」という状況が一緒なので・・・単純ですね・・。) つい素人考えで、 「今となってはもう新しくない、あくまで『新しかった音楽』だなぁ」 なんて思ってしまう・・・。 それからもバイオリンとチェロを使った音楽が建築現場のシーンやら、事故のシーンやらで 雰囲気を変えつつも流れてくるのだけど・・・俳優も素晴らしいし映像も申し分ないのに 音楽がここまで前面に出てくる必要があるのだろうかと疑ってしまいました。 でも中盤あたりのブラックユーモアが利いてる場面(たとえばダニエル・プレインビューの やらせ懺悔シーンなど)が出てくる頃には、ようやく音楽が映画にも私の耳にも 馴染んできた気がします。 話が飛ぶけれどそう、この『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』って恐ろしいシーンなのに 笑い出したくなっちゃう様な、でも本当に笑っていいのかよく分からない様な、 なんとも現実離れした感覚を時々思い出させてくれる、映画ならではの力を秘めた作品なんです。 そう考えて、大変な時も辛い時も空想の世界で歌って踊って現実を忘れる「セルマ」が主人公の 『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(ラース・フォン・トリアー、2000年)を思い出しちゃうなんて 私はおかしいのでしょうか? とにもかくにも、この『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』は徹底したリアリズムを追及しつつも 映画ならではな非現実の感じがあるのが、バッチリ私の好みでした。 賛否両論になるかもしれませんが個人的にはあのちょっとすっとんきょうな感じのラストと、 そこに流れるバイオリンとチェロの芝居がかった音楽も良かったし。 こう考えると逆に、なぜ私が『ノーカントリー』を好まなかったのかが分かってきます。 あちらは全く対照的で、音楽を使わなければ笑える瞬間もほとんど設けず どこまでもどこまでもリアルさにこだわっていましたからね。 この2作を観て、ようやく自分の嗜好が分かったかもしれません。(遅っ!) はっきりしたラストが好みの私なのにこの終わり方が気に入ったなんて、 それだけ作品にヤラれたという事なのでしょう。 宗教的な事はよく分からず、「この題名にも含みがあるなぁ」と思ったぐらいだったけど、 それでも見応えばっちりの映画でした (1番上の写真は映画とは無関係ですが、いつもある「何かしらの画像」がないと さみしい感じがしたので、ミラボー橋近くで撮ったものをアップしました。) ランキングに参加しています。 投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[アメリカ映画(今世紀)] カテゴリの最新記事
|
|