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カテゴリ:真黒ノ日記
今日はボクの好む授業が一切ありませんでした。とても暇です。
ボクは美術が好きです。物を作る時、絵を書いている時、自分の内側との会話がスムーズに行なわれている気がします。風景画、人物画、版画など、様々な絵がありますが、それらの全てに共通している事は、どれも人が作り出した架空の物ということです。どんなに正確に模写された風景画や人物画でも、そこには現実には無い何かが描かれている様な気がします。それは心のあり方なのかもしれません。 ボクは幼稚園のころ、黒いクレヨンがいつも短かった記憶があります。部屋の掃除をしていたら当時の絵が出てきたのですが、画用紙一面が黒一色で塗りつぶされた絵が何枚も出てきました。格段強くクレヨンを押し付けた跡などは無かったので、憎しみや怒りをぶつけていたわけではないようです。もっとも、当時の記憶は曖昧なので、確たるものはありませんが。ただ黒く塗りたかったのでしょう。無差別殺人と同じです。 ただ殺したかったから殺した それだけの理由です。深く考えることは無いのでしょう。 唐突ですが、人生は逃げる事だとボクは思います。人間は常に逃げているのです。自分の過去、現在、未来から。僅かな思い出を糧に、残りの嫌な事を全て「忘れる」という方法を使い逃げているのです。過去の出来事で、常人だった人が精神病患者になってしまうこともあります。過去との対峙は自分を傷つけ、傷ついた心は腐食を始め、さらに自分を傷つける。それを避ける事で心の平穏を保生物は、地球上ではおそらく人間だけでしょう。異常に発達した脳により知恵が付き、自我が興り、心が生まれた生物。進化が自分を傷つけるとは、なんて皮肉な生き物なのでしょう。悲しくもあり、面白くもあります。自殺も進化が齎したものだとしたら、進化の行き着く先は「死」なのかもしれません。つまり、進化をし続ける生物は皆、「死」に行く事を望んでいるのかもしれません。 ボクはどうなのでしょう。ボクも「死」を望んでいるのでしょうか?しかしまだ死ぬには早すぎます。ボクにはやらなければいけないことがあります。念のため言っておきますが、ボクのは「執着」ではありません。故に ボクは此処にいます お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.01.26 21:58:06
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