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テーマ:今日聴いた音楽(75560)
カテゴリ:歌謡曲
~もっと歌謡曲!? 第3回 作詞家 なかにし礼の良心~ 歌手 菅原洋一との二人三脚 第1044回 2008年10月30日 あなたの過去など知りたくないわ…… 済んでしまったことは 仕方がないじゃあないの という歌は訳詞家なかにし礼の名作であり、歌手菅原洋一を一躍有名にした大ヒット作でもある。 昭和40年代から50年代にかけて、歌謡曲に「作詞家なかにし礼」を聞かない日はないぐらい、大ヒット曲の生みの親として君主していた。 当時、中高校生だった僕にでも、なかにし礼の名前は川端康成や三島由紀夫と同じくらい頭の中にインプットされていた。 でも、正直、変な歌、いやらしい歌ばかりだなあという印象だった。 祖母も、「日本の歌もずいぶん品がなくなったものだね」という始末である。 同様のことがその後阿久悠のヒットの際に言われたものだった。 確かに他の歌謡曲と違い、感情がストレートだし、情景もCMのようなテンポのスピード感を感じる内容だった。 アングラ、フリーセックス、フーテン、シンナーなどがもてはやされた時代であったからこそ、そんな率直でスピーディーな表現がもてはやされたのだろう。 同じ時代に菅原洋一さんの歌う「知りたくないの」が大ヒットした。 祖母は彼の歌には「品を感じ」たのだろうか、いつも好意的に彼の落ち着いた歌を聴いていた。 菅原洋一さんの歌はその後もヒット曲を続ける。 後に知ったことだが、彼の多く歌の作詞を手がけたのは、あのなかにし礼さんだった。 とても同一人物とは思えない作詞の内容に驚いた。 しかし、彼の著書などでもともとシャンソンの訳詞をされていた方だと知ると納得した。 いわゆる歌謡曲、しかもヒットの連続を続ける流行歌の作詞家なかにし礼は、時代を感じ、時代の大衆を描いていたのだろう。 そして一方では、「誰もいない」、「今日でお別れ」、「愛のフィナーレ」などの菅原洋一さん歌う名曲を描くのである。これは作詞家なかにし礼の良心なのではないのかと、僕は思うのである。 そしてふたりの間には「風の盆」という名曲が生まれた。 最近のなかにし礼さんは小説家としても大活躍である。そんななかにしさんに僕は歌手菅原洋一さんの半生を小説にしていただきたいと、以前から考えていた。 きっとなかにしさんにしか描けない菅原洋一の歌への良心があると思うからである。 (脱字誤字はお許し下さい。敬称は省略させていただきました) 「山形マンガ少年」まとめてご覧いただけます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年10月30日 20時36分58秒
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